Eleven

 目の前で列から離れていく女性たちが持つあつあつのハンバーガーを、と言うよりもそれと一緒の手が持っていた薄いモバイルを、クラルは目で追った。
 じっと見つめたまま、軽く小首を傾げる。
 朝に、ココさんが持っていたのとは、またちがうモノ……? 似てるけど、ココさんのより小さい。と言うかみんなが持ってる、

「あれ、なにかなあ……」

 初めて見る品に、クラルは興味をそそられた。思わずぽつんと、独り言つ。
 昨夜からココが時折手にしている無機物は、一見すると精巧なおもちゃのように見えた。そう言うものだと思っていた。なのに今朝はそれを一瞥するなり眉間を潜めて、ちょっとごめんね。大事な話しをしてくるよ。と一言告げて自室へと向って行った。メモちょうかなあ。なんて思いつつ、分かりました。と答えたあとで、戻ってきたら尋ねてみようと考えていたのにすっかり忘れていた。
 目の前の人の手元で、それを思い出した。思い出したら目で追っていた。一歩を踏み出したココに続いたものの視線は人混みに溶ける人を追って、そこでまた別の人が似た品を耳に宛てているのが見えた。
 もしかして、大人はみんなもっているのかなあ……。薄ぼんやりと見渡していた時、クラルの目は人混みから一瞬現れた文字に奪われた。白い看板に、ピンクの可愛い文字とイラスト。
 繋いでいたココの手がふっと離れる。カードケースを出す為だろうがクラルには分からない。ただ無意識のまま、荷物を両手で抱え直した。意識は、看板の文字を読んでいた。
 美味しい。甘い。ミルキーゴーフの天然ジェラート。

「アイスクリーム……」

 呟いたと同時、クラルは誘われるように人混みに向けて脚を踏み出してしまった。その時の頭に宿ったのは、とくべつな時にだけ目にできるとくべつなデザートが、ある。すごく見たい。だけだった。
 人が騒めく中では子供の呟きなんて、ココの耳に届く前にかき消されていた。



 てくてくてく。お店に近づいていく。大人には厄介な人混みも、子供からすれば目の前で動く足にだけ気を配れば良くて、するすると目的地に辿り着いた。
 寒いからか、買い求める人は疎らだった。寒いけれど、気を惹かれたからクラルは精一杯の背伸びをして、ガラスケースの中をのぞき込んだ。
 色とりどりのアイスクリームがケースの中、箱いっぱいに詰められて並んでいる。定番のフレーバーから、期間限定や、見たこともない調合の物もあってそれは、今のクラルにとってまるで特別な宝箱を覗いているように感じた。しかもその中にとても食べてみたいと思っていたフレーバーもあった。すごい。おいしそう。さむいのは嫌いだけどこれは食べたい。
 でも、小さなクラルにとってジェラートは高級品で贅沢品だ。食べたいものがあったら言ってね。と、言われたけれど昨日会ったばかりの人にとてもおねだり出来る品じゃない。でも、目が反らせない。じっと見てしまう。

「……」

そうしていたら、当たり前だが店員に声をかけられた。いらっしゃい。お嬢ちゃん一人? ママは? クラルは、顔を店員に向けて答えた。

「母は、いません」

 ……じゃあ、パパは?

「いません」

 え? 家族と逸れちゃったの?

「かぞく、いません……わたし、孤児ですので」

 店員の顔が怪訝を滲ませたのが見えた。
 無理もない。今のクラルの身なりはどう言うわけかこれまで着た事のない上等な衣服を身につけている。昨日押し着せられたくるみボタンのコートは防寒保温に優れたツンドモスラの糸で編まれた生地を使っているし、それに今日は更にアンゴラの気持ちがいい手袋をして首にはカシミアのマフラーだ。靴だってシープスキンのブーツ。それも有名店のロゴ付き。
 クラルの生い立ちは本当だけれど、店員は、迷子が怒られたくなくてついた方便だと思ったらしい。表情が、少し笑う。

「でも、いっしょに来た人は、います」

 そっかそっか。と、クスクスされる。じゃあその人が来るまでいっしょに待ってよっか。と、続けられてクラルは「……え?」そこで初めて振り返った。
 さっきまで一緒にいた、ココがどこにもいない。
 見上げていた大きな存在感がどこにもない。
 一応あたりをきょろきょろして見るが、クラルからすれば大人はみんな大きくて、その向こうが全く見えない。ずいぶんな距離を進んでしまったらしい。しまった。どうしよう、わたし、

「はぐれた」

 絶望が侵食する。クラルから離れた場所で人の声がワッと沸いた。顔から血の気が、さっとひいた。



 人が多いからここで待っていなよ。と、言う店員の好意にクラルは甘えることにした。曰く、常連のひとりに自分がどこか似ているから放っておけないのだと。実際はぐれてしまった今、下手にうろつくよりは、ずっと良い。
 ショーケースの横。出された椅子の上で、お行儀良く座る。風邪をひいたら大変だから。と、暖かい紅茶を一杯貰った。ついでにアイスクリームをハーフカップも貰ってしまった。いい子でいるご褒美と、保護者が早く見つかるおまじないだと言って。受け取る手が思わず恭しくなってしまう。すごいものをいただいてしまった。

「ありがとう、ございます。お心づかい、かんしゃします」

 きちんと頭を下げて礼を述べると笑いながら、喋り方がマダムっぽいねと頭を撫でられた。
それよりクラルは気が気でない、と、言う事もなかった。
 接客に戻った店員の横で、アイスを少しずつ頬張りながら通り過ぎる人を眺める。はぐれないように。と、手を繋いでいたのに、結局はぐれちゃった。でもココさんおおきい方だから、きっとすぐ見つかる。そんな事をぼんやり思いながら、頭の中で先週のクラスで先生が次週までに暗唱するように。と、言い付けていたシェイクスピアの一節を復唱する。そう言えば、次の授業っていつかな。ココさんはどこまで教えてくれるのかな。起源の話とか、できるかな……。
 貰ったジェラートは彼女が気になっていたフレーヴァーでは無かったけれど、今期の一押しという事だけあってとても美味しい。時折飲む紅茶との相性も良い。店員も、手が空けば構ってくれた。
 今日はどこから来たの?

「グルメフォーチューンの、はしっこです。きょうは、エプロンを買いにきました」

 あ、抱えてる袋の中身?

「はい。わたしはユーズドでよかったのですが、ココさんが先に、見つけてしまったので……しんぴんです」

 ……ココさん?

「おせわになっている、方です。今日はココさんといっしょに来ました」

 ふうん……。そう言えば名前、聞いてもいい?

「わたしは、クラルともうします」

 言った後に喉が渇いた気がして、クラルは貰った紅茶を一口飲んだ。出された時は唇に触れるのも躊躇うほど熱かったのに、今はすっかりぬるくなっている。外気のせいだろう。丁度いい。
 店員が、クラルの名前を繰り返す。そうして、口を開いた。
 うちの常連さんと、同じ名前だね。流行ってるのかな。ちなみにその人の旦那さん、四天王なんだよ。

「してん、のう……?」

 あれ? 知らない? ほら、一昨年の日蝕で活躍した美食屋の一人。地震が起こったり、沿岸部は津波に襲われて大変だったじゃん。その前も大飢饉の時にも……。今はグルメ界からも食材が……。

「…………」

 店員の話が、クラルにはよく分からなかった。
 だって、一昨年に、日蝕なんてなかった。大飢饉の経験もない。記憶を遡っていると突然「グルメ界」なんて恐ろしい言葉が飛び出した。かと思うと、四天王を筆頭に食材が卸されていると言う。なんのことか分からない。グルメ界は前人未到で、入れば最後、帰れない場所だ。なのに耳に入る話はどう言う訳か、殺伐さや恐ろしさとは無縁だ。食材が流通に乗っていると言う。しかもその担い手のひとりが、現自分の庇護者と同名だとと言って笑う。そしてもう一度、その人の伴侶がクラルと同じ名前だと繰り返し、凄い偶然だよねと笑う。何を言っているのかわからない。思ったままに、首を傾げた。その時に、ふと疑問が湧き上がった。
 そう言えば、ココさんの奥さまのお名前、なんていうんだろう。

「クラル!」

 昨日見た写真の女性を思い浮かべていたら、名前を呼ばれた。声の方へ顔を向けたら群衆の中、頭一つでかいココが数メートル先から人を掻き分けて向かっているのが見えた。店員が、え? 四天王じゃんか。……え? なんて言っているけれどクラルは、時折自分の姿を確認して、進んでくるココの姿に釘付けになっていた。凄く、焦っている。眉間にシワが寄ってる。あ、ぶつかった。あれ?そう言えば、私……

 こんなシーン、見たことある。

 ふと、不思議な既視感に襲われた。
 瞬きの間に、映画のセットじみた光景が過ぎる。記憶は、今より煌びやかで、豪華な景色。それか名前を呼ばれた時は今みたいに寒く、今よりは暗い星空の下で……。
 でも、確証が薄い。結局そんな大人を見るのは今のクラルには初めだから思わず、「あせらなくて大丈夫ですよー」声を掛けたら、燻っていた既視感は太陽を見た朝靄のように消えた。横から笑い声が聞こえた。
 合流したココにも「いや。急にいなくなったら、焦るよ」と、冷静に突っこまれた。


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