素直な気持ち
 誰にも会いたくない、見られたくない。その一心で逃げるように部屋に帰ってきた。暗い部屋の灯りをつけることすら鬱陶しく、そのままベッドへと上半身を投げ出す。
 こんなことになるなら、風呂場に同僚がいたことぐらい我慢すれば良かったと今更ながらに思う。長い軍隊生活、他人と風呂に入ることなどとうに慣れていた筈なのに、最近妙に毛嫌いする癖をなんとかせねばならなかったのだ。あちらならもう誰もいないだろうとわざわざ出向いたのがそもそもの間違い――
「間違い……か」
 窓から差し込む月明かりに、机の上がぼうっと明るく照らされている。そこに乗っている雑誌におもむろに手を伸ばし、パラパラと意味もなくページをめくる。
 彼が載っているものはここには置いていない。あの一冊しかないしわざわざ数冊買う必要性も感じはしなかった。どうせ、毎日顔を合わせるのだから。

 雑誌を再び机の上に戻し、靴のままベッドに足も上げてしまう。なんとも言えない気だるさは、けして射精した後だからだけではない。
 耳に、口に、胸に皮膚に残る感触と声が。

 どうしたら良いのだろう。そんなため息を零す。
 丁寧に洗い流したはずなのに、精液の匂いがまだするような気がして、シーツに顔をうずめてしまう。

 まさかこんなことになるとは思っていなかった。いやそれ以上にあんな形で想いを伝えることになるとは考えてもみなかった。きっとこの気持ちは薄れるまでずっと胸の中だけにあるものだと思っていたし、一生ただの一方的な思い出になるものだと思っていた。
 それなのに、まさか本人にあんな場面を見られた挙句、あっさり……あんな行為をさせてしまうなんて。

 どうしたら良いのだろう。再びため息を零す。胸が苦しくてたまらない。

 だって、本当はわかっている。自分がどう思っているかを。
 自分の告白に嫌な顔されるどころか、受け入れてくれたことがどれだけ嬉しかったことか。
 この気持ちに気づいてからずっと、不安で、怖くて、自分がおかしいんじゃないかと思ってきた。それらから解放されたはずなのに――はずなのに、どうしていいのかがわからない。
 あのまま、あのままあそこにいたら、しがみついて泣き出しそうだった。でもそれだけは自分が許せなくて、慌てて逃げ帰ってきた。
 それが余計に、自分の立場を曖昧にしたのだろう。

 いや、そもそも彼は受け入れてくれたのだろうか。その疑問が頭の中をよぎっていった。
 もしかして遊ばれただけかもしれない。私のことなんか別になんとも思っていなかっただろう。それどころか普段のことを省みれば嫌われていたってしかたがない。
 だったら、あれは……あれは普段のお返しと言わんばかりの悪戯心であってもおかしくないだろう。

「そう、か。そうなのかもな」
 ぼんやり呟きつつ、そうあって欲しくない気持ちが、先程の出来事を思い起こさせていた。きっと違う、いくら普段素行がよろしくないからといって、そんな男ではない。そんな僅かな希望に縋りたい気持ちと共に、肌が記憶を取り戻す。
 口の中が覚えてしまった、あの感覚。それを思い出して身体にぴりっと刺激が走った。

 あんな風に口づけをされたのは初めてだった。無論男とは当たり前なのだが、今までの恋人とも違う。挨拶とも愛情確認と言わんばかりのそれとは別の、もっと感情的なもの。それを言葉にするのはすごく難しいのに、記憶の中には刻みこまれてしまう不思議なもの。
「ふ……」
 思い出してもしかたがないのに、新たに生まれた不安を打ち消すかのように、身体が次々と記憶を呼び起こす。耳朶を這う舌、そこに降りかけられる吐息。ただの記憶のはずなのに、腰の力が一瞬抜けてしまう。


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