草木萌え動く





3月に入り、雪が降りそうなほど寒かった一昨日と打って変わって、昨日、今日と安定した気温を保っている。
安定したというより、むしろ春らしい天候というべきだろうか。
一桁しかなかった気温がグンと10度台後半まで跳ね上がり、ずっとこのままの気温であればいいのにとさえ思う。

だと言ってもまだ3月に入ったばかり。
朝晩はもちろんのこと冷え込むし、風が吹けばひやりと冷たい。
それに明日にはまた一桁台の気温に戻るらしい。

現在の時刻、朝6時半、30分ほど前にやっと顔を見せた太陽が体を起こし、とても気持ちいいのだが、ランニング中の体にはこの時間は凍える寒さである。



ランニングという習慣が続いているのはとても単純な話である。
この場所を通るルートで、この時間にランニングをしていると、とある人とすれ違うのだ。
とある人の名前は知らないのだが、特徴を述べるとするとまず、男の子である。
年齢は多分私と同じか、それとも年上の高校生。
黒髪短髪でたれ目が特徴的だ。
大きなバックを背負っている。
方向的には西浦高校の生徒なのではないかと踏んでいる。
そして、この前野球ボールを手のひらで転がしているところを見たので、野球部に違いないと勝手に思っている。

さて、なぜ私はとある人とすれ違うこのルート、この時間にランニングをしているのか。
それは単純にその人と会いたいからであって、一番の目的は体を鍛えることではない。
そういってしまうとなんて馬鹿な女なんだといわれてしまいそうだけど、会いたい人と会え、さらには健康にまでいいのだから一石二鳥だろう。
(この前同じことを友人に話したところ、すごい顔で見られて典型的なアホだといわれた)


今日は太陽が出ている分すごく走りやすく、私は軽快な足取りで近くの公園を駆け抜ける。
この公園を抜け、住宅街を進み、コンビニの角を曲がったまっすぐの道を彼は歩いている。
ちょっとストーカーチックな説明の仕方と時間まで正確に把握したうえでその道へと進んでいく自分にちょっと嫌になるけど、そこまでしてたった一瞬すれ違うだけのことに一生懸命になれる自分が好きだとも思う。
これが恋に恋するってやつか、なんて自分自身考えるのだけど、楽しいんだから仕方がない。


さて、現在の時刻6時32分、残り3分だ。

コンビニが見えてきて、私はいつもよりもペースが早めだったことに気づき、少しスピードを緩める。
そういえばこのランニングを初めて今日で3週間目だ。
私はこういう続ける習慣が本当に向いていなくて、日記なんて一瞬で終了し、ママに分けてもらったサプリメントなんて1日も続かなかった。
そんな私が早朝ランニングなんてめんどくさいことを3週間も続けられていること自体、奇跡に近いのだ。
今週最後まで走りきったらご褒美をあげようと自分自身に言い聞かせ、軽快な足取りで先へと進む。


現在の時刻6時35分。

コンビニの角を曲がれば前方には紺のダッフルコートに身を包んだあの人がいる。
そう考えると身がブルリと震え上がるような緊張を感じる私は病気なのだろうか。
そんなことを考えている間にあっという間にコンビニの前を通り過ぎ、角を曲がった。
わくわくドキドキ、そんな言葉がぴったりの私は、次の瞬間、いつもと違う光景にあれ、と首をかしげることとなる。
目の前からいつも来るはずのあの人が、いないのだ。

ここのところ平日3週間はいつもいた。
いつもすれ違って、実はその中何日かは目が合ったこともある。
そう、いなかったことはない。

けど今日はいなく、私は無意識のうちに走るペースが遅くなり、立ち止まりさえしなかったものの、アレレとほとんど歩いているペースで後ろを振り向いた。
もちろん誰もいない。

寝坊でもしたんだろうか。
それとも今日は朝の練習がないのだろうか。
それとも・・・。

いろんな可能性を考えれば考えるだけいろいろ出てきてしまうので、私は考えるのを一度やめる。

考えてもしょうがない、いないということはとにかく会えないということだ。

私は立ち止まった足をまた動かし始める。
そしていつものようにランニングをし、いつもの山田さんちを通り過ぎ、いつもの犬の糞が放置されている電柱の前を通り過ぎる。
うん、気持ちよく走れている。

私は潔い性格をしている。
こういうところも自分自身、好きだと言い切れる。
そう、きっと今日は何か急用があったんだろう、それとも何らかの事情で朝の練習がなかったのかもしれない。
3週間ほど続けて、すれ違わないのは初めてだが、逆に言えば毎日同じ場所で、同じ時間に絶対に会えるというのもへんな話だ。
あの人がこの時間にこの場所を必ず通るなんてこと、コンピューターのような精密さなことがあるわけない。
そう、これは当然のことなのだ。

また明日会えばいいじゃないか、そう思っていつもの河原へのルートを進み始めた。















慣れとはすごい。
この河原に来るまでに息も絶え絶えで、河原のすぐ横の道を歩いていたのに。
3週間も続けているとそれも平気で、軽快な足取りでランニングを続けられている。
ここまで来ると気まぐれで始めたランニングが癖になりそうだ。
しかも今日は天気もすごくいい。


ふと私は河原の草木の中にかわいらしいものを見つけた。
ゆっくりと立ち止まり、ゆっくりと近づいていくとその場にしゃがみ込んだ。
淡い紫色をした小さな花は、春先に見かける雑草の中に良く見かける花だった。
いつもだったらこんな花なんかに気づかず、そのまま通り過ぎていたのだろう。

私は自分自身がいまのように小さな春を見つけられ、それを幸せだと思うこと、それ以前にそれを発見できたことがすごくうれしくて、さっきまでのあの人がいないことで少し落ち込んだ心も一瞬にして消え去った。

と、

「・・・あ」
「・・・あ」

足音が聞こえたとそっちの方向を見ると、あの人がいるではないか。
少し息を切らし、額に少し汗をにじませたたれ目のあの人が、私を見下ろしているではないか。

私はびっくりして思わずその場に立ち上がり、はっとした。
なんで私、立ち上がってんだ。
別になんにも用事もないのだし、そのまま会釈する程度でいいではないか。
いやむしろ、会釈するどころか私は顔を知っているけど、あっちは覚えてもいないかもしれないのに。
きっとびっくりしたに決まっている。
きっと、変な女の子だと思ったに決まっている。

でも私の性格上、ここで無視するなんてできないのだ。

「お、おはよう、ございます」
「おは、よう」

少し息を弾ませながら、返してくれた。
一瞬にして心が温かくなる。

「今日は、こっちなんですか?」
「あ、いや・・・寝坊、して・・・」

あ、話がかみ合っている。
私がいつもコンビニの角を曲がってくるランニングしている女だってこと、覚えてくれているらしい。

「寝坊、したのなら急いでますよね。すみません、声、かけて」
「いや・・・」

一瞬の沈黙、そして。

「いつも、走ってますよね。すごいなあと思って・・・」

うわあ。

「あ、ありがとうございます」

じゃあ、と言ってあの人はまた走り出した。


なんだよ、チクショー!
覚えてんじゃん!
ドキドキして、私変じゃなかったかな?
やだ、今日寝癖とかちゃんと直してたかな?
明日からどうしよう、軽く会釈とかした方がいいのかな?それともあいさつするべき?


とにかく、私の心は河原の小さな花なんかじゃなくて、もうそれはそれはバラが満開状態だ。

南からやってきた春は、本当に春を連れてきたようだ。

うれしすぎて、私はその場の小さな花たちをすっかり忘れてしまっていた。
世の中は、春到来である。







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