職場の門を上品のかけらもなく足で器用にあけると、するりと愛用の自転車ですり抜けた。加速をつけようと、サドルから少し、腰を上げる。右足をぐっと踏み込んで、スピードを出した。
時刻は11時17分。辺りは暗く、大通りの裏になるので、幻灯もあまりない。ほとんど人気がないながら、同じような残業の後であろうサラリーマン、遊び帰りの学生とすれ違う。ナマエは首に無造作に巻き付けたマフラーを口元まで引き上げた。
まだ11月に入ったばかりだというのに、もう真冬に入ったような寒さだ。去年よりも寒くなるのが早いような気がする。今通り過ぎたスーツを着た女性も、寒そうに肩に力を入れ、両手を抱いて早足で歩いていく。

さて、同居人はもう帰ってきているだろうかと名前は急いで家へと向かってスピードを速めた。






白石くんとすごす残業の後の時間




オートロックを手慣れた様子であけると、そのまま自転車にまたがったまま入り、エレベーターが10階に止まっていることを確認すると、ボタンを押して駐輪所へと向かう。せっかちな性格だとよくいわれるが、時間短縮のためのことだと言い訳を返す。
そんな名前をいつも笑って名前らしいと言ってくれるのが今の同居人だ。

同居人の白石蔵之介とは一緒に過ごし始めて1年近くになる。彼とは中学からの友達だったのだが、高校からつきあい始め、気がつけば長い間一緒にいる。もう25歳なのだから付き合いでいえば10年以上、恋人としては7年にもなる。
彼は大手のメーカーの営業として働いている。出張で東京や九州に行くこともたびたびあり、社内でも若手のエースとして頼られているらしい。というのを名前はいつだったか酔いつぶれて帰ってきたときに送ってきてくれた同期の人に聞いた。
つまり現在働き盛り、仕事に忙しいのだ。

一方、名前も忙しい日々を過ごしていた。
長年の夢だった教師として現在奮闘中だ。小学校、今は6年生の担任をまかされている。来年には卒業を控える子どもたちを前に、毎日忙しい。毎日襲ってくる卒業までの様々な行事に必死にすがりつくことで一杯一杯だ。
今年で3年目、やっと仕事の後先がわかるようになり、余裕を持って仕事ができるようになったころだった。それは名前もそう、白石もそう、2人とも仕事に忙しかった。

面白い何か、夢中になれる何かを見つけてしまえばそれしかめに入らなくなる2人だからこそ、1年前、合うのは月に1回かるかないか、そんな生活だった。それに危機感を持った白石が今まで住んでいた部屋の契約時期を期に、少し大きなところに移るのと同時に名前を招き入れたのだった。


エレベーターに駆け込むのと同時に素早く“7”と“閉”のボタンを押す。扉が閉まりきる前にふうと息をついて、トンと背中を背後に預けた。ゆっくりと7階まであがっていく。
もうご飯は食べただろうか、もしかしたらもう疲れて寝ているかもしれない。
近頃、名前は9時前後には帰っていた。今日は明日の準備に明け暮れ、気づいたら10時を過ぎていたのだ。

チン

7階につき、扉が開ききるまえに飛び出して、歩き出す。片手にはカサカサと音を立てるコンビニの袋。なかにはビールと酎ハイが2本ずつ、チーズにおかき。
軽いものを買っていこうかと思ったのだが、思った以上に疲れているのかアルコールを入れる程度で十分だと思ったのだ。

705号室、暮らし始めてもうすぐ1年。初めはなかなか慣れなかったものの、今やしっかりと安心して過ごせるマイハウスだ。
マミはコンビニの袋を下げる逆の手でインターホンを押そうと無意識で手を伸ばしたのだが、押す寸前にぴたりと手を止めた。
もしかしたら疲れて寝ているかもしれない。本当だったら起こして今日のことを話したい、話したいことはいっぱいあるのだが、疲れている白石を無理に起こすことも気が引ける。
名前は押そうと直前まで出した指をぐっと握り、ジーンズに引っ掛けてある鍵を取り出した。

(寝れるときに、寝てもらわないと、ね)

できる限り音が鳴らないようにゆっくりと鍵を開ける。鍵についている鈴の音が鳴らないように、拳の中に包み込み、ゆっくりと鍵をまわす。カチャリという音がやけに響いた気がして、名前は無意識に顔をしかめた。

そっとドアを開けて中を確認する。どうやら寝ているらしい。
内心しょんぼりした名前だったけど、しょうがない。実際こういう日もある。それに自分だってそんな日もあった。きっと白石も今の名前のような気持ちになったに違いない。
やっぱり家に帰ったときは明かりがあって、だれかに「おかえり」って言ってほしい。

(これからは蔵之介くん、遅くても待ってあげなあかんな)

そう思いながらゆっくりと扉を閉めた。
しかし、閉めてみると奥の方から何やら音がする。一人でしゃべってる・・・というのは考えづらい。きっとテレビの音だ。リビングで疲れて寝てしまったんだろうか。
ショートブーツを雑に脱いで、そろえもせずにフローリングへと足をついた。玄関口に並んで2つのフック、一つ目のフックには白石がいつも使っている鍵が引っ掛けてあった。2人で京都に行ったときに買った。白石のものは青、名前のものは赤色をしている。古風なデザインが気に入って買ったものだ。
角を曲がると、リビングが電気がついている。扉の隙間からうっすら漏れた光へと進んでいく。扉に手をかけて、ゆっくりと開いていくと、ゴロゴロという音とともに、目の前にあるソファーが飛び込んできた。
ソファから少し飛び出ている頭は、いつも見慣れたミルクティーの髪。社会人になってからは昔よりも短めにカットするようになった。

「あ、名前。おかえり」
「・・・ただいま」

返事をしたときに、ショルダーバッグがずるりと肩から落ちた。
起きているとは思わなかったので、驚いた表情のまま立ちすくんでいる名前を見て、白石はくすくすと笑った。

「何驚いた顔してんのや。俺が起きとったん、そんな意外やった?」
「いや・・・意外というか・・・」

名前はそのままリビングに入ってくると、後ろから回り込んで、そのまま首にぐるぐるに巻かれたストールをとりながらソファーの前のテーブルにコンビニ袋をおろした。

「何や自分、どんだけ急いできたん?」
「いや、そんなつもりなかってんけど」
「髪の毛、ぼっさぼさやで」

白石に腕を引かれたかと思うと、そのまま胸に飛び込んでしまう。

「女の子がこんなんやったらあかんやろ」
「・・・子どもらには先生品がないー言われるけど」
「あはは、言われてもしゃーないわ、これやったら」

白石の胸の中から名前が顔を上げると、ふと優しい顔を浮かべる白石と目が合う。
名前は急に心の中があったかくなって、胸が何かにつかまれるようにきゅっとちっちゃくなったような不思議な気持ちになった。不思議で、暖かくて、とても幸せだと思った。
期待を裏切られたのだけど、それがいい意味で裏切られるとうれしい。

「ただいま」

改めていうと、蔵之介も心底うれしそうな表情を浮かべてもう一度「おかえり」と言った。
どちらともなく目を瞑ると、小さなキスをした。




「で、そのけんかどうなったん?」
「どうもこうもあらへんよ。結局勘ちゃんが悪かってん。だいたいいつも被害者ぶってる方が悪かったりするんよな」
「で、こわーいこわーい名前先生にしかられたんやな」
「こわないし、私に怒られて泣くんやで?根性ないわ」

時刻は12時を過ぎている。
テレビはニュース番組が終わり、深夜のバラエティ番組に切り替わろうとしている。
そんなテレビの前のテーブルには即席の白石によるつまみ、後ビールが2本。
白石はユニクロのスウェット、名前は未だに高校の頃のジャージを着ている。女子力のひとかけらも見られない名前の一方、白石はただのスエットなのにかっこ良く決まってしまうのだ。悔しいとしか言いようがない。









**




シャワーを簡単に浴びた後、1時にはねようと言うことで簡単な晩酌がスタートした。いつもより1時間以上遅いスタートであるが、いつもの光景に変わりはない。
疲れた体をビールで癒すのが日課になってしまっている2人はいつもこんな感じだ。
営業職の白石と、学校勤務の名前は両者ともに人と多く接する職業である。そのため話のネタは尽きない。
特に名前の話なんて話しても話しても飽きないほどのネタがある。
そしてここまでくるとおなじみの名前も覚えてしまう。
勘ちゃんと山ちゃんは名前のクラスのやんちゃ盛りの2トップである。毎日のように笑えるネタを持ってきてくれるので、白石はまるであったこともないのにずいぶん前から知っているようなきがしてならない。

「名前、テンション高いって、もう夜中やで」
「あはは、ビール飲んだらいつもこうやん」
「ほんまだらしないわ、自分」
「そんな私が好きなくせに」


いひひ、うれしそうにビール片手に笑う名前を見ていると、白石まで笑顔になってしまう。

名前は中学での部活のマネージャーをしていた。その頃から仲がよく、豪快でまるで女と思えないような言動でいつもみんなを笑わせていた。
謙也に負けないぐらいのせっかちで、大雑把だったけど、いつも他人のことを一番に考え、誰よりもその人に寄り添ってあげる優しい心を持っていた。最後の試合、青学に負けたときだって誰よりも一番に泣いて、誰よりも悔しさをあらわにしていた。自分が試合に出た訳ではないのに、自分の試合で負けた訳ではないのに。名前の姿を見て、みんな思わず泣いてしまったのだった。
とにかくそんな名前が学校の先生になったってのは天職だと白石は思う。人を引きつける力も兼ね備えているし、人が何より好きな名前だ。
白石は名前のそんなところに惹かれてしまったらしい。白石の心をぐっとつかんで話さない名前を誰よりも愛しいと思う。

「あ、そういや謙也が連絡よこしてきたで」
「謙也?なんで?」
「なんかな、みゆちゃん、結婚するねんて」
「みゆちゃんってあのみゆちゃんか」
「3年2組のみゆちゃんや」

かつて謙也と白石たちは同じクラスで中学最後の3年2組は今でも年に1回は集まるほど仲がいい。みゆちゃんとはかつて謙也の彼女だったはずだが。

「みゆちゃん、謙也と付き合ってた子やんな?」
「そうそう、なんやしかも結婚するん、1組やったの坪田くんらしい」
「えっ!坪田?!サッカー部の?!」
「そうそう、謙也と付き合う前に付き合ってた」

名前はそのまま右手に持った缶ビールをぐいっと一気に飲み干す。幸せそうに一息つくと、ソファーから腰を上げて、キッチンの方へと歩いていった。
いつも言うのにスリッパを履かないので、ペチペチと歩くたびに足音がする。お風呂に入った後だから汚さないようにはけばいいものを。

「謙也と高校の途中まで付き合ってたやん?そのあと社会人になってから復縁、そのまま結婚やて」

冷蔵庫の中をのぞいているのであろう、名前の声がくぐもって聞こえる。
う〜ん、と唸っている声が聞こえた後、ぱたんと閉じる音とともにまた、ペタペタと歩いてきて、ソファーの後ろからなだれるように倒れてきた。

「危ないやろーそれ」
「えへへ、落ちそうになっても蔵之介くんが助けてくれるやん」

そう言ってチューハイを差し出してくる。もういっぱい付き合えということだろう。
白石はため息をつきながらそれを受け取った。
プシュッと言う音とともに、ぐいっと喉に流す名前の姿はいつも通り男前だった。

「謙也なんか言っとった?」
「ふふふ、なんやへーきな風やったけど、あれ落ち込んでんで」

謙也のことを考えて白石は思わず吹き出してしまった。
最近できたばかりの彼女とあっさり別れたばかりの謙也だ。かつての彼女が自分が付き合っていたのと同時期に付き合っていた男と結婚したなんて、独り身じゃないときに聞くのもなんか気が乗らないが、一番寂しい時期にそんなことを聞いてしまうなんて。

「謙也、かわいそうやな」
「ちょっと、言っとることと表情全然合ってないけど」

そう言いながらも名前もにこにこと、いや、にやにやと笑顔を浮かべていた。

「みんな結婚してくなー」
「ああ、大学の友達結婚するー言っとったな」
「そやで。聞いとるだけで3人や。おっそろしいわ、お金ばっか飛んでくわ〜」

またぐいっと豪快に喉へ流すと、そのままポテチへと手をのばす。ふと手を止めたかと思うと、あけていいかと目で訴える。夜中にお菓子を食べると白石が怒るからだ。まあ今日は遅くまでがんばったんだしオッケーと白石が目を背けると、えへへという言葉とともにピリッとビニールを破る音が耳に入る。
テレビでは芸人たちがクイズをしている。膨らんでいく風船を答えるたびにぐるぐるまわして、もう今にも破裂しそうだ。

「次、いつあるん?結婚式」
「来週〜」
「えっ、もうすぐやん」
「そやで」

ソファーの上にあぐらをかいて、足の上にポテチの袋、右手にチューハイ。もはや女子ではない。
だけど、と白石はそんな名前を見て思わず口を緩めた。

「なに?私の顔に変なもんでもついとる?」
「なんもついてへんで」
「いや、目と鼻と口とかいろいろついとると思うけど」

自分で言っといて、自分で大笑い。
本当に女らしくない。

でも

「名前もさすがにウェディングドレスは似合うやろ」
「は?当たり前やん」
「ま、高校のジャージが一番似合うかもしれへんけど」

それに怒らずかもしれへーん、とのんきにポテチを口に彫り込みながらしゃべる名前は魅力的だ。

遠くはない未来、見慣れない清楚な名前の姿を思い浮かべて、悪くないと思う。
そして本当にその姿を見れたなら、どんなに幸せかとも思う。同時に、心底白石自身、名前を愛しているのかを思い知らされる。

「ま、名前はその笑顔があれば何着ても似合うよ」
「さすが蔵之介くんは私のこと、よーわかってくれてるわ」

時刻はもうすぐ1時、タイムリミットだ。明日はきっと1日だるいに違いない。
でもこの時が、これだけ楽しければまあいいかと、にこにこ笑顔を浮かべる名前に手を伸ばし、白石はゆっくりと抱き寄せた。

まだ、夜は長い。







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