4月の夜はまだ肌寒い。日によってはコートを引っ張り出したくなるぐらい朝晩が寒くなるときがある。
でも今日はそこまでは寒くはなかった。でも厚手の上着を着込む。あいつのためにと一枚上着を持ってきた。お酒が入っているだろうからほてった体には必要ないだろうけど、でもまだ4月、空は寒い。

今日は午前中にカフェのバイトに行って午後は何にもなし。特にすることもなかったので部屋で一人、久々に小説を読んでみた。バイトの帰りにふらっと立ち寄った本屋、新作の文庫本が詰まれた棚の上前に立って目を配らせた。
ふと目にとまった表紙の写真。きれいな青空の写真に手を伸ばした。裏の解説を見るとどうやら純愛小説らしい。作者の名前は2,3年ほど前にベストセラーを出した作家の名前だった。読んだことがあり、久々に小説が読みたくなってレジへと向かった。
昼は近くのスーパーで簡単な惣菜と晩飯の食材も一緒に買う。ついでにビール、昨日全部なくなったはずだ。あとは新しいチューハイが出てたので2本買った。
昼食はオムライスを簡単に作って食べた。
そのあと3時間ほど小説を読んだ。高校生の夏の思い出の話らしい。俺とはなんだか程遠い日常だったので、こんな生き方もあるんだなーと思いながら読みふけた。


そんな優雅な昼下がりを過ごし、今俺は駅に向かって一人で歩いている。
時間は午後10時半、駅が近くなり大通りも歩いているのもあって人通りは多い。大体は俺が向かう先から人が流れてくる。くたびれたスーツを着たサラリーマン、遊び帰りの学生、違反の2人乗りをしながら楽しそうに笑いあうカップル、みんな俺とすれ違っていく。
ゆっくりゆっくり歩いているからか、後ろからも人が来て俺を追い越していく。今から町に出ようとしているのか、やたら大きな声で下品なしゃべりをする化粧が濃い女たち、愚痴を言っていたり何かの自慢をしている酔っ払ったサラリーマン、仕事帰りなのかカツカツと急いで歩くOL、みんなゆっくりと歩く俺を追い越していく。
駅のロータリー近くに来るとさっきよりも人がずいぶん多くなってきた。このあたりはさほど大きくもないが急行が止まる駅なだけあって飲み屋が多い。

さらに駅の前に着くと、多くの人が立ち止まって話していたり、通り過ぎていく。あたりをちらちらと確認するが、当の本人はまだついていないようだ。
俺と同じように帰りを待っている人、飲み終わって解散しようにも話し込んでいる人たち、今からのみに行くのか遊びに行くのか待ち合わせをしている人たち、駅のエレベーター前の広場には人が多い。
近くの手すりにもたれかかり、ケータイを覗き込んだ。
時刻は午後10時36分、そして金曜日。
普段より人が多いと思ったのは金曜だからだといまさら気づく。
大学生である俺には時々曜日感覚がわからなくなることがある。今日は花金、もちろん彼女も花金。




今日は新卒社員がやってきて、名前の部署では歓迎会があるらしい。そういえばそんな時期で、周りのサラリーマンらしきまとまりの中にもちらほら、俺と代わらないような若い顔が見えて、そんな時期かと頭の中で考えていた。
もう2年もしたら俺もああやってぺこぺこして酒のまされまくって機嫌とって話聞いて…、そんな日がやってくると考えるとぞっとする。

俺の中で大学生とは人生の中で一番自由な時間を過ごしていると思っている。それは日本国民の3大義務である勤労の義務を負う俺にとってまるで最後の羽休めの時間、そんな感じがする。
大人として認められる時間でありお酒やタバコが許される20歳を向かえ、子どもとして抑えられていた法律から開放される。が、まだ学生という特権を持っている。さまざまな割引特権、それにまだ羽目をはずしても許されるぎりぎりでもあるような気がする。まだ学生だからまあ今回1回だけは許してやるよ、そんなゆるい甘い考えも通るような4年間。
そんな天国のような4年間を過ぎると俺たちは社会に縛られ、そして自分のために働き始める。中にはもっと別の目的を持ち始めるやつが増えていく。恋人、家族のため。そして定年まで働き続ける。特に男はなおさら。
中には天国というなの大学生活などを忘れられず、ニートと呼ばれる天国という名の地獄にはまっていくやつもいる。でも俺はそんなやつにはなりたくない。
ふと目の前に現れた金髪にピアスをたくさんあけた大学生らしき男を見ていた。そいつが声をかけたのはまたそいつによく似た金色のメッシュを入れてちゃらちゃらした格好をしたやつと、大して細くもない足を無残にさらけ出した女(顔はパンダのようだ)。あいつらは今の生活からちゃんと抜け出せるんだろうか?いや、むしろ高校卒業と同時に働いているのかもしれない、それどころか高校を無事卒業したのかも微妙だ。

なんて考えていると、自然と大きなため息が出た。こんなことを考え出したらきりがないのでやめよう。
あいつらがどうであっても俺には関係ないことだ。



そう考えると名前はすごいと思う。名前は仕事が楽しいとか言ったことはないけど毎日毎日同じ時間に仕事に行って、定時に帰れたためしはなく、遅い時間にボロボロになって帰ってくる。でもやめたいといったことは一度もない。
帰ってきたら俺にむかってふにゃって笑い、「たかや」と呼ぶ。その声は疲れているときも、元気なときも一緒だった。
俺もああなれるのかな。いや、名前を越えられるのかなと思う。
俺は名前より年下だ。でも男として、名前の恋人として社会人になったらふさわしくいれるのだろうか。
などと考えているときだった。

「ちょっと、みやっち、わたしはもういいから」
「いいっすよ、名前さんお家まで送りますって。酔っているでしょ?夜だし危ないし」
「ほんとに大丈夫だって、家近いし、酔ってない」
「ほんとっすか?名前さんめちゃくちゃ飲んでましたよ」

よく聞きなれた甘い声と、まったく知らない男の声。
顔を上げると真正面のエスカレーターを下ってくる2人の男女。名前と知らない男。

「ほんとにみやっち大丈夫だから、帰っていいよ。最寄ここじゃないでしょ?」
「名前さん送ったら帰りますよ。終電まだまだですから」

名前の横にぴったりと寄り添う男は三咲のかばんを反対側の肩にかけていた。
その光景を見ながら自分がどんどんどんどん不機嫌になっていくのがわかった。ちょっと落ち着けよ、なんて自分に言い聞かせるが機嫌がどんどん悪くなるばかり。

「名前」

俺は自分自身の声に驚く。怒っている低い、でも通る声で言った。
その声にハッと名前が顔を上げる。
その瞬間にふにゃっと笑顔になる顔。何だよ、俺怒ってんだぞ、何そんな顔して笑うんだよ。そんな顔をされたら…

「たかや!」

俺も、笑顔になってしまいそうじゃないか。


名前はそのまま男にかばんを預けている状態にもかかわらず、その男を置き去りにして俺の元へと駆けつけてくる。そのまま抱きつくわけでも手を握るわけでもなく、俺の目の前まで駆け寄ってきてにこにこ笑って見上げている。あ、やっぱこいつ酔ってんじゃん。
名前は酔ってるときはにこにこにこにこ笑顔が張り付いて取れなくなる。

「むかえに来てくれたんだね」

そう言ってにこにこ笑う。

「・・・誰?弟さん?」

さっきまで名前に向けていた声よりすこし落ち着いた声で投げかけられた声に顔を上げると、ちょっと俺をにらむような顔で目が合った。
パッと見、俺は今ジャージ(上はジャージ、下はスエット)であり、黒髪短髪の俺はスーツを着た人とは明らかに幼く見えただろう。実際にお前よりは年下だけども。
でも、

でも、年下として見下されたことが腹立つ。

「違います、送ってくれてありがとうございました。ここで結構ですので」

俺は名前の彼氏だと、言いかけたがぐっとこらえる。大人な振る舞いを見せる。負けるもんかお前になんてといっているような、逆に子どもっぽい感覚かもしれない。
でも、すこしでも名前に近づこうと思うと我慢できなかった。

このときの自分は、俺自身でもこんなぶっきらぼうなやついたら腹立つだろうなあと心の中で思う。
そんな俺や目の前の男とはまったく別世界にいるように名前は、相変わらずにこにこ笑っている。目の前の男が言っていたようにそれなりの量を飲んだのだろう。


俺は目の前の男に右手を差し出した。そのかばんをよこせという意味で。
男はなにも言わず、無言で俺にかばんを手渡した。
見た目とは違い少し重いかばんが手に渡り、がくんとその重みで腕が傾く。でもぐっと持ち直し、俺の右肩にかけようとしてやめた。名前が俺の横を歩くときは右側、かばんがあったら邪魔だ。

「じゃ、お疲れ様っす」

そう言ってその場を立ち去る。
歩き出した俺の後ろを名前が引っ付いてくる。俺の右腕に絡みつくわけでもなく、笑ったままぴたりと横について歩く。

俺はなんだか勝ち誇った気持ちになる。あの男、今頃どんな顔をしているだろうか。そんなことを考えていると、見つめられる視線を感じた。

「何かおもしろいことあったの?」
「は?」

視線の犯人は、横に並んで歩く名前だった。

「だって、なんか笑ってる」
「俺、笑ってた?」
「うん。たかやの笑ってる感じ、なんとなくわかるの。にこって笑ってないけど、今さっきはたかやがなんか、うれしいときの顔」

えへへ、よく見てるでしょ私。
そんなことを言いながらそこで始めて俺の腕に触れた。まるでゆっくり絡み付いてくる蛇のように俺の右腕に自分の両腕を絡み付ける。

「うれしくねーよ。男連れてきやがって」
「だってこの方がいいでしょ」
「なにが」
「これであの子もわかったでしょ?」

私にはこんなにかっこいいたかやがいるってこと。
そう言って恥ずかしそうに俺の腕に顔を押し付けた。えへへ、なんていいながら。
なんだどうしたんだ、今日お前。

「お前小悪魔だな」
「かわいいでしょ」
「ま、悪くないな」
「えへへ」

うれしそうに右手を唇に当ててくすくす笑う。
俺はその右手を取り払って自分の唇を寄せた。そっと触れるだけのキス、リップ音だけを残して。

「やりたくなるじゃん」
「今外なんだけど」
「ここでやるかよ、人多いのに。やりたいわけ?」
「もう!だったら早く帰るよ!」

そう言って俺の右手を引っ張っていこうとする名前。




俺は思わず少し声を立てて笑った。

かなわねぇなと思う。
仕事とかそんなんじゃなくて、こいつ自身に。







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