今年の春は昨年と比べ、桜満開を知らせるニュースが伝えられるのは早かった。
悠一郎が家から出たとき、目の前をひらりと花びらが舞い落ちていく。普通、入学式にはパリッとした真新しい制服に身を包み、着慣れていない中、着心地悪く緊張した面持ちで参加するのだろう。だが、西浦高校には制服がない。私服高校である。
悠一郎が身につけていたのは中学で着ていた制服と同じ学生服である。着慣れた学ランは3年の間に体にぴったり馴染んでいる。悠一郎にとってどうもこのままぼーっとしていたら中学に行ってしまいそうだと気持ちを入れ直す。家を出てすぐ家の裏の方へと視線を向けると、キャベツ畑の向こうには学校が見える。そして、その学校の前にはグラウンドが見えた。

グラウンドを見ていると、胸の奥底から何かがこみ上げてくる感じがする。それをどのように表現すればいいのかはわからない。うれしさなのか、喜びなのか、それとも怯えや恐怖、期待、様々な感情がぐるぐると渦のように蠢いている。
あのグラウンドで、また、始まるのだ。
悠一郎の顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。

「っしゃ!」

思わず出た声は思ったよりも大きく、青く晴れた春空に吸い込まれていった。

悠一郎は今度はどんな野球ができるのか、胸を膨らませる中、野球以外にちらつくものがあった。ちらりと脳裏を掠めたある顔をなかった事のようにかき消す。しかし、考えずにはいられなかった。
彼女と同じ高校生になった自分は、1つ大人になれたのだろうか。しかし、悠一郎にとって彼女はもう遥か彼方、雲の上。
悠一郎はそれを振り払うように駆け出す。目の前に数人の学生の姿が見えてきた。きっと同じ新入生だろう。
忘れろ、今は野球ができることが何よりも一番なのだから。
そう考えたら思ったよりも簡単にその顔は悠一郎の頭の中から消えていった。まさか、数時間後にまた彼女を思い返す事になろうとは、そのときに考えもしていなかった。























入学式は普通、緊張するもんなのだろうか。悠一郎はそんな事を考えながら大きな口を開けてあくびをした。目尻に涙が浮かぶのに気付くと同時に視野の端で教師の睨んでいる姿を捉えた。面倒だと思わず出た欠伸を噛み殺した。
見慣れない体育館も、色が一色じゃない、斑な同級生の服も、初めて聞いた校歌も、まだ整備されきっていないグラウンドも。悠一郎にとってはどれも色鮮やかに見え、キラキラ輝いて見える。なぜこんなにも胸がわくわくするんだろうか。そんな疑問も喜びに変わる。
退場をしながら悠一郎はまた1つ、大きな欠伸が出そうになってまた噛み殺した。在校生の代表、そして保護者席の間を通り抜けて新しい担任の後ろを綺麗に2列に並んで進む。あえてふざけた態度をするやつもいない、綺麗に並んでいる。悠一郎は隣を歩く女子を見てみたが、緊張した面持ちで目の前をまっすぐ見ている。
野球部入るやつ、クラスにいるかな。何人集まるだろうか。強いやつ、いるかな。ピッチャーいたらうれしいな。今日は練習しねえのかな。監督はどんな人だろう。
悠一郎の頭は野球一色で、今日から1年過ごすクラスメートなんか盛りもよっぽど楽しみだった。ちらちらと視線を漂わせていると、さっきまで緊張した顔をしていた隣を歩いていたクラスメートに肘で小突かれた。

「何、緊張感なさすぎ」
「悪ィ」

キッと睨みつけた顔からは気の強さが漂ってくる。きっと“委員長”なんてあだ名がつけられそうなタイプだと悠一郎は思った。

と、その時だった。
隣を歩く女子を見る視線の中に、あるものが映り込んでくる。それは一瞬の出来事で、すぐに視線の中から過ぎ去ってしまったが田島の頭の中にはしっかりと残像が残っている。栗色の髪色はかつて、毎日のように見慣れた色だった。もう1年以上見ていないあの姿、見間違える事もない。
あっと声を上げそうになって後ろを振り向いて足が止まりかける。

「そこ!前を見ろ!!」

振り返ってもう一度確認しようとしたが、それはかなわなかった。教師の一声は悠一郎の頭に警報として鳴り響き、前を向いて足を進めざるを得なかった。初日から生徒指導の先生に目をつけられるのはごめんだと、苦虫を噛み殺したような顔を浮かべる。

体育館を出たとたんにわっと騒がしくなった。同じ中学同士のものが集まって騒いでいる集団もいれば、互いに気を使うように控えめに話をしている初対面らしき女子たち。悠一郎はそんな中、体育館の方へと振り返った。9組が退場が最後だった事もあり、列の後ろが体育館を出切ると体育館の中が見渡せた。前にはがらりと空いたパイプ椅子が広がって、その後ろには在校生が座っている。新入生がいなくなった体育館の中は緊張感がほぐれ、ざわざわと騒がしくなり始めている。そこを教師が一括するとまたしんと静まり返った。

「新入生は早く教室に入りなさい!」

副担任と紹介された若めの女教師の声が渡り廊下に響く。悠一郎は渋々教室へ続く道を歩き始めた。

ざわざわとうるさい廊下を歩きながら栗色の髪のことを思い出す。あり得ない。彼女は今、外国にいるはずだった。外国で、悠一郎とは活躍する分野が違うにしろ、がんばっているはずだ。
悠一郎の頭の中には嬉しそうに控えめにはにかんで駆け寄ってくる姿が思い浮かぶ。でもその姿はずいぶん幼く、小学生の頃の姿だった。1歳年上のくせに泣き虫で、いつも悠一郎の後ろを引っ付いて歩いていた。そのくせ頑固で喧嘩をしたら折れるのはいつも悠一郎の方だった。真剣な眼差しは、思わず息をのんでしまうほどの強さを持っていた。
あの目を見れば、あの目を見さえすればすぐに分かるのに。
悠一郎はもう一度後ろを振り返る。しかしその後ろにはもう誰もいない。見間違いだったのだろうか。しかし、悠一郎は自分が見間違うはずがないと自分自身に言い聞かせる。


間違いないはずだ。あれは、名前だった。






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邂逅・・・思いがけなく出会うこと
     偶然の出会い







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