ブローニュの海

仄めかす程度だけど注意



見渡す限りの青は、遠くで天と海とが混じり合って境界線すら失っている。緩やかに吹く風は北北西、垂れ下がっただけの帆は微かに膨らんでいた。流れていくその風にふと鬱金色が混じったのを感じ取って桃色の男は色眼鏡の奥の瞳をそれと知れぬ様に細めた。海を渡る風が自然には含むことはない、その渇いた匂いが甲板で渦を巻いて、さらさら形容し難い音を立てて革靴から順に鬱金が人型をつくっていく。ついにその姿を露わにした黒い男はさも不機嫌と言わんばかりに眉根を寄せてドフラミンゴを睨め付けた。男を形成する物質よりも更に純度の高い琥珀が不穏な色を湛えている。けれど違えてはいけない、男の奥底に潜む感情は怒りでは無く、爬虫類の如き無機質な無感動だ。
「見ろよ、空、快晴なの」
クロコダイルの尊大な唇が音を紡ぐより先にその吊り上がった大口は答えを吐き出す。全く困ったもんだぜ、そう言って彼の長い指先が指し示した青には成る程白い雲の一つさえ見受けられなかった。
「…で、お前は此処で立往生してた、とでも?」
正義と銘打たれたテーブルクロス。所々赤黒い染みの滲むそれを悪趣味だと唾棄するのは簡単だが、そう言ったところでドフラミンゴは結局意にも介さないのはわかっている。無駄な事をする気はさらさら無かった。行儀悪くその真白と赤と正義とで構成された布を被せたテーブルの上に長い両足を乗せた男はクロコダイルを見てその両頬をさらに吊り上げた。
「まあ、座ってくれ」
吹き曝しの軍艦の甲板はそこら中、赤と鉄錆と肉の惨劇に塗れていた。目映い真昼の光に晒された舞台装置は酷く白茶けている。血の匂いが夜だけの物だとは思わないが、それでも何もかもが陳腐だった。ドフラミンゴが脚を乗せているテーブルは何処から引っ張ってきたものだろう。真逆最初から甲板に置いてあったはずが無いーー態々御苦労な事だ。ドフラミンゴはそう言った、無駄な仔細には随分と拘りを見せる。そう大きくないテーブル、男の正面向かいに腰をおろせば漸く桃色は脚をひいた。こいつに最低限マナーが残っていたとは、驚愕の念と共に笑ってやれば男も吊られてフッフッ、と笑った。ドフラミンゴがその下品な指先をくい、とこれまた下品に折り曲げれば甲板から船室へと続くドアが開き、ワゴンを押したコックが姿を現した。真白のエプロンについた赤黒い染みを隠そうともせず、ふらふらとマリオネットの様な動きで此方へと歩み寄って来る。実質コックは目の前で厭らしく笑う男の操り人形だった。見えない糸が眩い陽光に煌めいている。恐怖に見開かれたコックの目が虚ろにクロコダイルとドフラミンゴを見詰めるその視線を感じ取って、クロコダイルは不快感に舌を打った。
「醜悪な阿呆鳥と同種扱いするんじゃぁねぇよ」
「フッフッフッ…酷ぇ言い草じゃねぇか、てめぇだってそう大差はねぇだろう。地下室に潜ってばっかいるからそんなに顔色が悪りぃんだ」
アミューズ・ブッシュ、オードブル、スープ、ポワソン、順をきちんと守って運ばれてくる皿はどれもこれも及第点、といえる出来だった。海軍にしてはやるじゃねぇか、と独り言ちればドフラミンゴは略奪者の癖をしてさも得意そうにテーブルを叩いた。
「お気に召したか、鰐野郎」
「ああ、全く。お前にしちゃあ…いや、お前が用意させたにしちゃあ品の良い食事だった。だが、態々洋上で食事をさせる為だけにこの俺を呼んだわけじゃあねぇだろう?」
「相変わらずお高くとまった奴だぜ……あぁ、だが其処が良い!次の品はきっとお前を唸らせてみせるぜ、メインディッシュだ」
囀る男は桃色の羽毛を大きく震わせた。本物の鳥がする様に空気を撓んで、ふわふわと揺れる。それにあわせる様にして、三日月の形につり上がった口が笑う。船室から再びコックが戻ってくる。銀の台車の上にはクロッシュを被せられた皿が二つ乗っている。こと、と軽い音を立ててテーブルクロスに置かれたそれから覆いを取り去れば、つん、と鼻腔をつく濃厚なソースの匂いがした。赤ワインで煮込んだそれは柔らかそうに見え、酷く食欲をそそる。潮風と真昼の太陽が照り付ける洋上での食事に、一際相応しい様にも思えた。クロコダイルは右手だけでナイフとフォークの両方を掴み、左の鉤爪の先で皿を抑える。薬指の股でフォークを支えて、親指と人差し指とでナイフを前後させる。綺麗に切り分けられた肉を見て、ドフラミンゴの唇がひゅう、と鳴った。
「相変わらず器用なもんだ」
感心した様な、揶揄する様な声音は慣れたもので取り立て不快でもない。そもそもテーブルを共にする度に見ている既知の行為の何処に面白味を見出せるのか、クロコダイルはドフラミンゴの思考回路が全くわからなかった。舌に乗せた赤いソースはその見た目通りの味をしていた。触れた其処から染み渡っていく濃厚な赤ワインとハーブ、奥底に潜んだ酸味がなんとも言えない。しかし、歯を立てた肉のあまりの硬さにクロコダイルは顔を顰めた。ドフラミンゴが、ん?と首を捻り此方を見詰めてくる。
「美味しくなかったか?」
「ソースは良い…鴎の肉が不味いな、筋肉が多過ぎる」
「天然ものだぜ?」
そう言ってドフラミンゴも肉を切り分け、一口大の赤が滴る肉を口へと運んだ。薄い唇の奥へ飲み込まれていく肉、赤、ドフラミンゴの右手のうちで銀のフォークが陽光に煌めいている。大きな口が肉を咀嚼し、嚥下すると男は口角を下げた。
「思ったより美味しくねぇな」
「煮込みがたりてねぇんじゃねえか」
「半日は煮込ませたんだがな」
ちぇ、と唇の端を尖らせて面白くなさそうにする具合などまるで幼い子供のそれだ。やめだ、やめ。投げ出された銀のフォークが宙を翻り、男の背後に控えていたコックの喉元へと突き刺さった。赤い血が噴き出してその白い装束をさらに汚す。
「食事中だ…」
「死体の山に囲まれて食事して置いて、今更何言ってやがる…それよりも、だ。不味い食事をした後には口直しが必要だよなぁ?」
ドフラミンゴは好色に笑って、テーブルの上に乗り上げた。拍子に未だ肉の乗った侭の皿が逆さまに床へと落ちて割れた。がしゃんという音。クロコダイルは手にしていたフォークを丁寧な仕草で皿に乗せると、上品にナプキンで口元を拭った。
「……俺にゲテモノ食いの趣味はねぇ」
軽く上向く動作でドフラミンゴを見詰めたその金目は驚く程に蠱惑的で、拒否の言葉を吐く薄い唇から、ちらちらと覗く真っ赤な舌先がドフラミンゴを誘惑していた。












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