逃避行/黄青

冬の海で心中しそこねたはなし。のつもり。

思い返せばあれも去年の冬。「海、いかねぇ?」彼の提案はいつだって、そう。言葉だけはその体をなしてはいる ものの、実質強制に近かった。断られる事など、微塵も考えてはいない。もとより、断るつもりはなかった けれど。冬の海に、人の気配なんて欠片さえもない。鉛色をした海を引き摺る砂浜を、何ひとつ脱がずに 真っ直ぐと、淀みなく彼は歩いていった。脛の真ん中あたりまで潮に呑まれて。そこで、立ち止まり、ぐる り、とこちらを振り返った。薄い唇を、少し吊り上げて、笑う。――来ないのか?

俺は駆け寄らなかった。決して彼を拒んだからではない。寧ろ、常の自分なら彼が拒絶を示したとしても、 付いていっただろう。けれど、何故だがその時は、彼の後を追ってはいけない気がしたのだ。二進も三進もいかなくなって、一人途方に暮れる俺を見て、彼は満足したようだった。その時の俺がどんな顔をしていたのかは、知らない。けれど彼が満たされたのなら、それですべてが良いような気がした。

たゆとう波から足を引き、寒みぃ、と言いながら此方に戻って来た彼の脛は当然の如く冷えきっていた。そう彼は、触れることを、俺に許したのだ。そこで拒んでくれさえしていたなら、と思わずにはいられない。 もし、慈悲深くもそうしてくれていたならば、どんなに浅はかな俺でも、これ以上を望まなかっただろうに。

――あれから彼に、一度も会わなかった訳ではない。それこそ、海で会ったこともあったし、街で会う こともあった。けれどそれらはすべて、偶然の会合か、俺が呼び出したものだけで、彼からの提案に似せた強制を受けたのは、あれが最後だった。つまり彼が所望したのは去年の鉛を固めた様な、あの凍える海のみだったのだ。


以下蛇足。

蝉の泣く季節は、まだこない。全ての生命が生きそして死んでいく、まるで男を体現したかの様な夏は、まだ、幾分と先だった。

一つ、息を吐いて寝床を転がる。ぎい、とベットが悲鳴をあげた。大柄な男子が二人ものっているのだからその訴えは尤もだ。少し笑って、男の手首をとった。褐色の肌は不思議な程俺の掌に馴染み、慈しむ様に頬擦りをする。

「なあ、黄瀬。お前も、俺も失敗したんだ。あの冬の海で、互いに互いを重石に括って鉛の海に沈めて終えばよかったんだ」

男はきっと、餓え続けているのだろう。何に?、すべてに。男はその暁闇を思わせる瞳を二つ、祈る様に閉ざした。それはまるで、世界への拒絶。

「次は、そうしよう。青峰っちの良いように、全部、しよう」

瞼の上を舌先でなぞり、男の見えない涙を掬いとる。

(陽炎に焼き殺される夏が来ればいいね。出来れば俺たちが死ぬ前に)


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