妖怪峰と今吉さん

妖青峰と今吉さん

夜とは元来暗いもの、けれどここまで恐ろしくあっただろうか。言い知れぬ不安を抱いて、奥の見えぬ廊下を歩き乍今吉は思う。 窓枠の向こう、墨で塗った様な空には月影すら見えなくて、手元の提灯ひとつでは夜の帳を開くには余りにも心許ない。

「なあ、アンタ」

そんな不安を切り裂く様に、闇の奥から不意に男の声がした。誰、と思うより早く体が逃げを打つ。こんな一寸先すら見えぬ場に人がいるはずもない。そも、此処は常人の立ち入りを禁じた聖域であったはず。ならばいるのは化生の類いか、妖か。しかし、意思に反して体は不思議と動かない。恐怖に、ではない。己の心がそれ程では揺るがぬことは知っている。動かぬ体を叱咤してそれでも提灯だけは手放さぬ様、握る手に力を込めた。観念して、ぎ、と目を見開いて前を見据えれば眼前の闇が次第にかたちをつくりだす。

「なんだ、男か」

つまらねぇ、と吐き捨てる様にのたまう艶のある声が闇から聞こえたと思うとぎ、と床を軋ませて、男が闇から此方へと姿をあらわした。仄かな提灯の灯りに照らされた男はぞくり、とする程に美しい。褐色の肌、紺碧の髪、瞳迄もが夜明けの色。背丈の程は己より幾ばくか高く、友人である諏佐や部下の若松と同じ程であると知れた。唇に薄く笑みを乗せた男は、なあ、と今吉の方へその手を伸ばす。

「名前は、」

緩に開かれてゆく指先の動きすらも艶。名を知られることは則ち生を奪われること。それだというのに、男の魔性に魅入られた様に開いてゆく唇は音を紡ぎ出す。

「今吉、翔、一」




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