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「泣くなよ彼方」

チョコレート色の瞳からぽろりぽろりと雫がこぼれる。拭っても拭っても止まらなくて、俺の手はびしょびしょになってしまったから、少しだけ自分より大きな体を引き寄せた。
腕を回した背中は熱いくらいで、着ていたTシャツの右肩がじんわりと濡れた。俺も目の前の薄い肩に目元を押し付けた。

清潔で少し甘い香りがする。彼方の匂いだ。記憶に焼き付けるように深く息を吸う。
鼻の奥がつんとして痛いしさっきからずっと瞼が熱くて堪らない。ぎゅうっと彼方が俺の体を抱き締めた。
少し痛みを感じるくらいに強くて、俺もぎゅっと腕に力を込めた。

「……遥も泣いてる」
「っ、うん」
「遥、泣かないで」

変声期を迎えて少し低くなったけれどまだ不安定な甘い声がそう言った。泣かないでと言われたのに俺はいよいよ涙が止まらなくなってしゃくりあげてしまう。
中学生の男2人が抱き合って号泣している光景は端から見れば奇怪そのものかもしれない。でも俺達にそんなことを気にかける余裕はその時存在しなかった。

生まれてから今までずっとずっと一緒にいたのに。誰よりも大事で大好きで一番近くにいるのが当たり前だったのに。

「っ彼方ぁ、嫌だ……」
「俺も、やだ。遥―遥、」

「行きたくない」と「行かないで」を俺たちは呑み込んだ。

眉を下げた母さんがしきりに時計を気にしだしたのが視界の端に映る。涙目の父さんが彼方の父さんと握手をしている。タイムリミットが近いことを空気が伝えている。
俺はそっと彼方の体を離した。彼方も腕を緩めて、俺たちの間に隙間が出来る。彼方が手を伸ばして俺の頬を拭った。

「―電話する。メールも。手紙も書くから」
「ん……」
「遥……、はるか。遥、大好き。ずっと好き。待ってるから、帰ってきたら一番に俺に会いに来てね」

唇を震わせた彼方はまた新たな透明の雫を落とした。きゅっと握られた手を俺も強く握り返した。涙で彼方の顔がよく見えない。何度も瞬きを繰り返す。

「うん、うん。俺も大好き。―っ、彼方、お願い。俺がいなくなっても、俺よりも仲いいやつ作んないで……」

言わないつもりだった言葉が多量の涙に押し出されたようにぼろりと口からこぼれでた。ごめん、と呟く。
潤んできらきら光る目を大きく見開いた彼方はまたぎゅーっと俺をハグした。

「作らないし出来ねえよーっ。遥も、遥もずっと俺を一番にしててね」
「当たり前だろっ」
「じゃあ約束」

そういって小指を差し出した彼方がへにゃりと情けなく笑う。俺も涙でぐちゃぐちゃの顔で笑って、小指を絡めた。
幼稚な歌を声を揃えて歌う。指切った、と歌いきって彼方を抱き締めているとぽんと肩に手が乗せられた。振り返れば鼻を赤くした母さんが立っている。

「遥、そろそろ……」
「―分かった。じゃあな、彼方。あっち着いたら連絡する」
「……うん。寝ないで待ってるから忘れるなよ。気を付けて。おじさんとおばさんも、またね」

頷いた彼方が俺の両親に微笑んでみせる。途端に堪えきれぬように落涙した父さんが突進するような勢いで俺たちを二人まとめて抱き込んだ。


「ぐうう、遥、彼方……!! ごめんなぁ俺がアメリカ転勤になんかなったばっかりにぃ!」
「父さん、痛い」
「おじさん、泣かないでよ。一生の別れなんかじゃないんだから」

自分だって散々泣いたくせに彼方はそんな慰めを口にする。
わあわあ泣く父さんをおじさん―彼方の父さんが笑いながら慰めて、母さんたちはハグを交わし、俺もおじさんおばさんにそれぞれぎゅっとされてから、もう一度彼方と抱き締めあった。


そんなことをしていたら時間がギリギリになってしまって俺たち3人は走って飛行機に搭乗するはめになったんだっけ。





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