My heart in your hand. | ナノ


▼ 27

あの後、話し声が他の人の妨げにならないように先輩の部屋に移動した。分からないところを教えてもらいながら課題を進め、今は休憩中。
キヨ先輩の教え方も、貸してもらった一年の時に使っていたというノートもすごく分かりやすかった。

聞いたところによると、彼は常に学年で一桁に入る成績なのだとか。そんなにすごくないけど、という前置きが意味を成していないと思う。

「ハル」
勉強慣れしていない頭にいろいろなことを詰め込んだせいでちょっとぐったりとしていた俺は、呼びかけられて慌てて体を起こした。キヨ先輩は笑って「疲れた?」と尋ねながらグラスを手渡してくれる。
お礼を言って受け取ったそれはひんやりと冷たい。透き通った紅色で甘みのある匂いがする。

「少し……。普段やらないから」
「そっか。それにしては、基本的なことは分かってるみたいだったけど」
「―授業は聞いてるんで、なんとなくなら」
ふーと息をついて、グラスに口をつける。ほんのりと甘く、覚えのある味が舌に広がった。

「これ、ピーチティー? ですか?」
「そうそう、嫌いだった?」
「いえ。美味しいです。先輩、紅茶好きですよね」
「うん。コーヒーも好きなんだけど、紅茶のが美味しいって思うし、ブラック飲めねえし」
ハルは飲める? と軽く聞かれる。それに首肯して答えながら、「ハル」という呼び方にいつの間にか慣れている自分に気が付いた。それから、そう呼ぶ先輩の声がとても柔らかく響くことにも。

ただ呼びかけているのではなく、彼が俺に向けてくれる優しさがそのまま表れているような声なのだ。最初の頃にそんなふうに感じなかったのは、俺が気付かなかったというだけではないと思う。
多分、以前より今の方が先輩の呼びかけはきっと柔らかく俺の耳に心地いい。
それが俺の思い込みなどではなく真実で、その理由が俺たちがより親しくなっているからなのだとしたら、俺はそれを嬉しいと思う。


「そういえば、テストの後って球技大会なんですね」
「ああ、そうそう。ハル、何に出る?」
会話が途切れたところでふと思い出したことを振ってみる。キヨ先輩はぽんと手を打って頷いた。

「何があるんですか? バスケとかサッカー?」
「えーっと、その二つとバレー、ドッジ、卓球かな」
「卓球だけなんか異色っぽいですね。あー……、俺はどれでもいいかな。キヨ先輩は?」
特別苦手なものはないから、多分どれになっても大丈夫だろう。
「どうかな。全部参加できるわけじゃないから自分では選ばないけど、一二年のときはバスケに選ばれたから今年もそうかもとは思ってる」
バスケか。周りが決めてそうなるということは、きっと先輩はバスケが得意なのだろう。
動き回っている先輩を思い浮かべてみようとしたが、普段の様子しか知らないせいかあまり想像できなかった。
「ハルは運動できそうだけど、走ったりするイメージない」
俺の思考を似たようなことを言って、楽しそうに笑う先輩。

「それ、たまに言われます。俺すげえ動きますけどね」
「そうだよな、喧嘩しまくってたんだもんなぁ」
彼の言葉に非難の響きはない。それどころかなんとなく嬉しそうだ。この間、眠るまで俺の話をしてと言われて出身校がどんなところで自分がどんなふうにやってきたかを話したときも似たような様子だった。
こんな話のどこにニコニコする要素があるのだろうとは思うが、多分内容よりも俺が自分のことを話したことが彼にとって重要なのではないかと勝手に推測している。その表情を見ていると理由もないのに俺まで嬉しいような気持ちになってしまうから、困る。今だって勝手に顔がゆるんでしまっているはずだ。

「しまくってたってほどでもないですよ。喧嘩したいって思ってたわけでもないので、向かって来られない限りは大人しくしてましたから。一応、自分からは手出さないようにもしてましたし」
結果的に喧嘩をするなら、そんな線引きなんて傍から見れば無意味なものだとは分かっていたけれど。
俺の言葉に先輩は「そんなときまで冷静なんだな」と頷いた。ちょっと否定したかっただけなのに、感心したみたいな反応をされたのがなんだか居た堪れなかったので、俺は急いで話を球技大会の方に戻した。


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