My heart in your hand. | ナノ


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「少し、揺れるぞ」
「はあい……」
自分の鞄を持ち直し、首に腕を回させて体をぐっと引き上げる。体勢を整えて蒸し暑いトイレを出た。
岩見は身長の割りには多分痩せている方で、たいしてごつくもないから運ぶのは余裕だ。

荷物を回収してから、寮に帰る。
遮光カーテンを引いた部屋は昼間でも真っ暗だ。開けたままのドアから入り込む光だけでベッドまで行き、背負っていた体をそっと下ろしてやる。
深く息を吐き出しながらこちらを見上げた岩見が力なく笑ったのが薄明かりの中で見えた。
とりあえずクローゼットから着替えを取り出して、ジャージから着替えさせる。いつもなら軽口を言う状況だが、岩見は黙り込んだまま俺が被せたTシャツの袖にもそもそと腕を通した。頭痛を堪えるだけで精一杯なのだろう。

ようやくベッドに横になると、目を瞑ったまま深く息をつく。
「エス、ありがとう。助かった―。ごめんね」
「ごめんは余計」
額に手を乗せる。汗ばんでいて、こめかみから脈動が強く伝わってくる。軽く指圧するようにそこを抑える。この当たりから眼球にかけてが脈打って痛むのだという。

光まで刺激になるとかで、岩見がわざわざ遮光カーテンを使っているのはそれが理由だ。

「氷枕いるか」
「欲しい」
「わかった。待ってろ」
部屋に戻ってきたことで少しリラックスしたのか、さっきの死にそうな雰囲気は和らいでいる。それでも痛みは健在なのだろう、眉間に寄せられた皺は消えていない。
とっくにセットの乱れた髪を撫でてやって、静かに部屋を出る。

氷枕の他にタオルも持っていった方がいい。それから教室から回収した鞄の中から制服を出してハンガーにかけておかなければならない。頭の中でやるべきことをリストアップしていく。優先順位をつけて、その通りに一つずつこなしていくのが俺にとって一番無駄のない動き方なのだ。

後頭部から首にかけてをしっかり冷やすように、タオルをかけた氷枕を頭の下に置いて、濡らして固く絞ったタオルで汗ばんだ肌を拭く。冷たさが気持ちいいという岩見の要望でタオルは額に乗せたままにした。
やるべきだと思ったことを一応全部終えて、また岩見の頭を撫でる。以前に岩見が片頭痛による不調を訴えたときになんとなく頭を撫でてやったら、ちょっと楽になる気がすると言ってくれたのが記憶に残っていて、痛みに耐えているのを見ると半ば癖のように繰り返してしまうのだ。

「はー……、ごめん、ご飯できねえ」
「大丈夫だから。少し眠れ」
「そうする」
右の眼球を押さえるような仕草をして、ゆるく微笑む。それからすっと瞼を閉ざしたのを見て、俺は部屋を出た。

それにしても慣れない。
岩見がすごく辛そうに蹲っている姿を見ると原因が分かっていても内心ひどく焦ってしまう。緩和してやれたらいいのに、俺には頭を撫でてやるくらいしか出来ないのだ。

あいつから聞いた話によると、頭が痛くなる前に前兆のようなものがあるらしい。
目の前にキラキラがどんどん広がっていく、という不思議な説明ではあったが、実際にそういう症状があるのだそうだ。
その前兆の段階、あるいは痛くなり始めてすぐに薬を服用しないと今日のような状態になるのだとか。
試合や集団行動のいろいろで中々教室に戻って薬を飲むタイミングが掴めなかったのだろうと思う。

早く楽になるといい。俺は岩見に笑っていてほしいと思っているが、見たいのは辛いのを隠して笑う顔ではないのだ。


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