My heart in your hand. | ナノ


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「ねーエス、どうしよう緊張してきたよ、なあこれ大丈夫? 俺、制服変じゃない? ちゃんと似合ってる? てかネクタイってこれでいいんだっけ?」
「落ち着けよ。ふらふらすんな」

先に朝食を終えた岩見が、そわそわと室内を歩き回りながらいろいろ話し掛けてくる。俺は卵焼きの最後の一切れを咀嚼し味わってから箸を置いて両手を合わせた。食事中だったので片手間の対応になっていた友人の顔を改めて見ると、柔和な印象の眉をへたらせて情けない顔で見返された。ほとんど呆れた気分で手招きする。
中学は学ランだったから、ブレザーは新鮮だ。岩見はネクタイを結ぶのは初めてだったらしい。何度もやり直してどうにか形になったネクタイは、それでも少し歪んでいる。手が届く距離にまで来たのでぞんざいにそれを引っ張って引き寄せると非難するような呻きが上がったが、無視して歪みを整え、きゅっと締めてやると笑顔に変わる。表情筋の忙しいやつである。
「ありがとー」
「ん。皿洗っとくから、その髪どうにかしてこい」
「へーい……」

今日は入学式だ。
俺としては何をそんなに緊張することがあるのだろうかと思うが、人見知りの岩見は色々大変なんだろう。まあ、それも馴染みたいと思うから出てくる心情であって。俺が気楽なのも道理だ。
ふわふわした足取りで洗面所に行った岩見を見送り、皿を洗う。作ってもらう代わりに俺が後片付けをすることにしたのだ。それでも料理をするほうがよほど大変だろうと思うけど。

時計を見る。入学式は九時からだ。今は八時半前。余裕を持って出られそうだ。
最後の皿を備え付けの乾燥機に入れたところで、岩見が戻ってきた。柔らかな茶色の髪に寝癖はなくなり、軽くセットされている。制服はしっくりと馴染んでいて、案外様になっている。心配することなど何もないのに。

「片づけありがとよ」
「ああ。どうする、もう出るか?」
「そうだねえ、クラス確認して体育館に行けばいいんだよね?」
「確か。まあ周りに着いていけばいいだろ」
岩見は、いい加減だなあと気が抜けたように笑った。
支度を終えてからこっちに来たから、俺ももう出る準備は出来ている。寝室から鞄を持ってきた岩見と並んで部屋を出た。ちょうど廊下にいた生徒が驚いた顔をした。この廊下に並んでいるのは特待生の部屋ばかりなので、二人出てくるとは思わなかったとか、そういう驚きだろう。わざわざ何か言う必要もないから素知らぬ顔でエレベーターに向かう。岩見は小さく会釈をしたように見えた。

「俺とエス、同じクラスになんねえかなぁ」
小走りに隣に並んで、しみじみと呟かれた言葉に不安が滲んでいて少し笑ってしまう。緊張しすぎだろう。
「お前、特進だもんな」
「てことは俺のクラスもう決まってんのか。A?」
「だろうな。北川が言うには、Gは問題児ばっからしい」
「問題児ってどういう種類の? バカ? 素行不良?」
「どっちもじゃねえの」
「え、もしかしてエスはG?」
俺は目を眇めて岩見を見下ろした。
「俺がバカだって言いたいのか? まあお前に比べれば、そりゃバカだけど」
「いや違うって! そっちじゃなくて素行不良の方!」
ぶんぶんと手を振って弁解される。俺はちょっと肩を竦めてから「俺は問題児じゃないから違うと思う」と真面目に答えた。
「ああ……、まあお前、普通にしてたらドのつくヤンキーには見えないもんなぁ」

とんだ言い草だ。不良の定義がどんなものかは知らないが、俺は恐喝もイジメもしないし、自分から喧嘩を売ったことだってそんなにないと思うから、不良ではないと言えるだろう。
それを言うと、ただ全部買ってたけどな、と返された。表情が緩み始めた岩見に満足する。

「解れたか、緊張」
「へ?」
「気を張らずに、普通にしてればいい。お前は顔怖くねえし、雰囲気柔らかいし、周りの方から声かけてくるだろ」
素っ気ないくらいの言い方だったように思うが、なぜか感動した表情で見上げられた。

「……エス、俺は猛烈にお前が好きだよ……」
「そうか」
「お前も、俺のこと大好きだねぇ」
「勝手に言ってろ」
アホなことを言うせいでつい笑ってしまう。何がそんなに嬉しいんだ、こいつは。賢いはずなのにバカに見える。


寮を出て校舎に向かう道は人でいっぱいだ。どうやらこの学校は新入生だけでなく二、三年も式に参加するらしい。
人だかりの出来たクラス発表の掲示を遠目に眺めたところ、俺のクラスはDだった。岩見は予想通り、Aクラス。
受付に並んで、おめでとうと儀礼的に祝われて、俺達は体育館に入った。

「あ、俺こっちか。じゃあなエス! また後で」
「おう」
クラス毎に並ぶ列を見つけた岩見に片手をあげて、俺も自分のクラスの席を探す。前から詰めているだけで場所の指定はなさそうだ。
二列並んだ折り畳み椅子の一つに座るとすぐに隣にも誰かが座った。

「―よろしく」
「……、よろしく」
ちらりと横を見ると思いきり目が合ってしまったので声をかければ沈黙の後にぼそりと返事が返ってきた。
赤みを帯びた暗い茶髪で目付きの鋭い男。面倒くさそうにすら聞こえる無愛想な声音だったが、自分も愛想のなさは変わらないので特別思うことはなかった。
人が多い体育館は騒がしく、ついでに寒い。そっちの方が気になる。
ブレザーの下に着た愛用している紺色のカーディガンで手を隠し、俺は目を閉じて式が始まるのを待った。


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