My heart in your hand. | ナノ


▼ 28

好かれているということを理解したつもりでいたが、彼に言われたことはその理解さえもさらに上回っていた。
自分から聞いたくせに終始まともな返事もできなかった俺に苛立ったり呆れたりすることなくキヨ先輩は優しく笑っていてくれて、彼は俺を人として尊敬しているなんて勿体無い言葉をくれたけれど、俺だって、俺の方こそキヨ先輩を尊敬している。

どんな生き方をしたらあんなふうな人になるのだろうと、時々思う。年下の俺に対してもキヨ先輩はずっと誠実で丁寧で、偉ぶる気配なんか一切ないのだ。たかが一つ二つしか変わらないのに先輩面する年上は鬱陶しいと思っていたけれど、逆にまるきりそんなふうに振る舞わない人間を前にすると不思議になる。
彼といて軽んじられていると感じたことは一度もなかったし、たいていは格好つけたり取り繕ったりするだろうと思うようなことでも先輩はそうはしなくて、真っ直ぐ謝るし、言葉をまったく飾らない。

そんな人に、あれほどの言葉をもらった。自分が最高と認める人が俺の生き方を肯定してそれでいいよと手を添えてくれたようで、子供っぽいかもしれないが俺はあの瞬間、本気で、一生キヨ先輩がくれた言葉を大事にしようと思ったのだ。

「で、どうなの? 分かりそう?」
ぼんやりと反芻していたところに、軽やかな声音で進捗を問われた。岩見の手は休みなく動いてフライパンを振るっている。
俺はその隣に立ってささみを細切れにしながら首を捻る。

「正解が見えない」
「ええ? 大丈夫かよー」
「―好き、かもしれない、って前よりも思うんだけど」
「おお」
「そんな、かもしれないとかいう曖昧なものじゃだめだろ」
「なら、決定打が足りないわけだ。お前が確信できるような」
「うん」
野菜を炒める音が耳に心地いい。顔を見合わせていなくても岩見がどんな表情をしているかはわかる。今はきっと、保護者のような慈愛の顔をしているのだろう。

「ふうむ。……あ、じゃあさ! もういっそキスでもしてみれば?」
「っは?!」
「おわ。珍しくデカい声出したな。そんな驚く? いいじゃん、分かりやすくて」
「いや、それは―ちょっと、」
簡単なことのように言われ、前に想像してしまった光景がまた脳裏に浮かぶ。勝手に想像して、キヨ先輩に対する罪悪感がひどいので思い出させないでほしい。

「はは、珍しいな、そんな歯切れ悪いの。だってさー例えば俺が今、お前にキスするでしょ」
「……、ああ」
「そしたらお前は真顔でなに? とか言うだけだと思うわけ」
「俺もそう思う」
でしょ、と言いながら、岩見は塩コショウを手に取りざっかざっかといつもの目分量でフライパンの中身に振りかけていく。俺は小さく細く刻み終えたささみをボールに入れ、水菜を取り出した。
岩見のことを勝手に比較対象にして悪かったなとちらっと思っていたのだが、本人からその想定を言い出すならチャラだろう。
「でもこれが俺じゃなくて委員長だったらどうよ? どきどきしない?」

「――それ、実は考えたことあるんだけどさ」
「え、そうなの。なんだ。結論は?」
「なんというか、多分、容量を超える」
慎重に答えた途端、弾かれたように岩見が笑った。俺には笑い事ではないが、笑う気持ちは分かる。

「どきどきどころじゃないな。ならなおさらキスするのって分かりやすくていいと思うけどー」
「気持ちにはまだ答えられないけど、キスだけさせてくださいって? 絶対嫌」
あれだけ真剣に向き合ってくれている先輩に対して、俺がそんなことを言うのは不誠実だと思う。
岩見は納得した調子で一つ頷いた。

「お前がそう思うならなしだね。でもキスのことは置いておいても、理屈抜きの感情の動きっていうのがやっぱり一番はっきりした答えになると俺は思うよ」
「……そうだな」

岩見の言う通りだ。確かに感情なんて本当のところは考えてわかるものではないと思う。

キヨ先輩が俺と話して、笑っているのを見るとずっとこの笑顔を見ていたいと思う。気持ちの滲んだ目で見られると息が出来なくなって心臓が痛くなる。彼がいなくなるのは寂しい。
それらすべてが恋愛感情からの作用だと断言できるならば、今すぐに答えを出せるのに。確信がないし、どうやって確信を得られるかも検討がつかない。

砂の中から砂で出来た固形物を探し出せと言われているみたいだ。岩見の案が実行可能ならそうしていたかもというくらい、手立てがない。
どうしたものかと小さく嘆息した。


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