My heart in your hand. | ナノ


▼ 11

昼食を終え、使った食器などを洗っていると、テーブルの上に置いていた俺のスマホが震動しだした。低く唸る音に顔を上げる。
椅子に腰掛けていた岩見が躊躇いなく画面を覗き込む。誰かと問うと「陽慈くん」と一言だけ返ってくる。

「陽慈? なら、代わりに出て」
相手が陽慈なので、岩見も拒まず「もしもーし」と暢気な調子でスマホを耳に当てた。会話が始まるのを流し聞きながらコップについた泡を洗い流し、備え付けの水切りラックに置く。それで洗い物は終わりだ。水を止め、濡れた手をタオルで拭いてから岩見の方に行く。

「あっ、洗い物終わったー。代わるね」
にこにこと話していたわりに、すぐにスマホを手渡される。もう話はいいのかと思いつつ、ともかく受け取る。
「なんか用?」
『なんだよーその素っ気ない第一声は。久しぶりお兄ちゃん! くらい言ってくれてもいいと思うな』
「はいはい、久しぶりおにーちゃん」
心がこもってない! と騒ぐいつもの茶番染みた反応をいなしながら用件を聞き出す。余計な言葉を全部削ぎ落して要約すると冬服を送ってやろうかという話だった。

「あ、送ってほしい。暖かいやつ」
『任せろ。俺がもう着ない服ばっかだけどね。晴くんが自分で持っていってる服って、どうせパーカーとかメインでしょー』
「そうだけど。なんで分かった?」
『今、晴貴の部屋にいるのー! キャッ』
「ああ、帰ってたんだ」
『またそういう冷めた反応する……。いいのかー、陽慈くん、エッチな本とか探索しちゃうぜ』
にやにや笑っているのが声を聞くだけで分かる。昼間から酔っているのだろうか。いや、普段からこの感じだった。

「好きなだけ探せばいいけど無駄骨だぞ、分かってるだろ」
『ッカー、全く冷めた子だなぁ。お前、ちゃんと抜いてんのか? てか精通してる?』
「聞くなそんなこと」
話す声が漏れ聞こえているのか、そばで岩見がめちゃくちゃ笑っている。軽く蹴ると「ごめん」と笑ったまま言ってキッチンに逃げていく。
目で追えば、マグカップを二つこちらに掲げて見せた。

「コーヒー呑むでしょ?」
無言で頷く。俯いた顔はまだ笑っている。

『怒んないでよ。兄貴だから心配してるの』
「必要ない心配だな」
『あっ、ちゃんと精通してるって?』
話を引き摺る兄に、呆れを通り越して可笑しくなった。もういいって、と笑い混じりの声で言うと向こうからも笑い声が返って、『じゃあ、このクローゼットにあるコートも送る?』と本題に戻った。

『―あ、明志にも服いるかって聞いてくれる? 気に入ったもの見つけるとすぐ買っちゃうから、俺の箪笥はこっちも今住んでるところももう満杯なんだよなー』
「陽慈は服にばっかり金を使う」
『それな。でも他のものはあんまり買わないからさー』
晴貴の本と一緒だよ、と言われてそんなものかと呑み込む。確かに部屋を埋める俺の本も、陽慈の服も客観的に見れば大差ないのかもしれない。俺は人に譲ることも売ることもないから溜まる一方で、陽慈の服はある程度経てば周りに分配されるという違いはあるが。

ちょうど湯気のたつカップを両手にこちらに岩見が戻ってきたので、俺は一旦スマホを耳から話して陽慈の言葉を伝えた。ぱっと岩見の目が明るくなる。
「えっ、いいのー? すげえ嬉しい! ほしいほしい」
「だってさ。聞こえた?」
『聞こえたー。おっけ、じゃあ二人ぶん送るわ。ちゃーんと俺が二人に似合うものを見極めて送ってあげるから楽しみにしておいてよ』

「ん、ありがとう。頼んだ、陽慈」
「陽慈くん、ありがとー! 楽しみにしてるっ」
『はいはーい、じゃあな! 達者で暮らせよ』
「陽慈もな。野菜食えよ」
『はぁい。コンビニでサラダでも買うよー』
明らかに普段はほとんど野菜をとっていなさそうな返事の後に通話が切れた。
陽慈の食生活は想像に容易い。インスタントとコンビニ弁当と外食のローテーションだ。なまじ俺と同じく飽きるということがない質だけに、改善もされなさそうで心配だ。

「陽慈くんの食生活が心配」
案ずる顔で俺の思考と同じことを呟く岩見の、文句なしの料理が食べられる俺は恵まれている。


prev / next
しおりを挟む [ page top ]

167/210