My heart in your hand. | ナノ


▼ 33

「あっエス」
「岩見。お疲れ」

キヨ先輩と別れて、一学年の棟に戻ってきてすぐ。廊下で見覚えのある友人たちと一緒にいた岩見が、俺を見つけて一人こちらに駆け寄ってきた。不思議そうな顔で俺の背後に視線を投げる。

「いいんちょーは? 一緒に回るんじゃなかった?」
「一緒だったけど、先輩が呼び出されたから。体育館で別れてきた」
「まじか。残念だったね」
緩く頷く。自分のことのように残念そうな表情をした岩見はきゅっと眉を寄せて、叩くと撫でるの中間のような力加減で俺の肩に触れた。

「しょんぼりだな、エス。楽しみにしてたもんね」
「ん……? うん、まあ―」
「よしよし、悲しい顔しないで。ね、ほら、夜ご飯は一緒に食べられるんじゃないかな? 今日は食堂、なんか特別メニューがあるとか聞いたよ。誘ってみたら? 駄目だったら俺と行こう、な?」
「ああ、―じゃあ、そうする」
「うんうん」
何故か自分は慰められているらしかった。残念なのも、楽しみにしていたのも合っているが、しょんぼりと表現されるような心情ではないと思う。しかし、岩見にはそう見えるらしい。
よく分からないながら了承の返事をすると、岩見は満足げににこにこする。どうやら俺は、キヨ先輩を夕食に誘うことになったようだ。


「じゃあ今から暇なの? 」
「ああ、教室戻って手伝おうかと思ってる」
「イベント系のクラスは全然行ってないんでしょ? お化け屋敷とか。一緒に行ってみない?」
「いや、あんまり興味ないからいいよ」
「そー?」
「ん。友達と回ってこいよ。ほら、待ってくれてるし」

岩見が後ろを振り返る。少し離れた場所で三四人が立ち止まって待っていて、こちらの視線に話は終わったのかと言うふうに顔を上げた。
岩見は逡巡するような間の後に「んー、うん。分かった」と頷いた。
「ん。楽しんでこいよ」
「うん。委員長が忙しかったら、夜一緒に食べようね! でも、今日は特別メニューが気になるから食堂一択だよ」
「わかった。―つーか、岩見。俺、別に落ち込んではないんだけど」
「えっ、そう? うーん、でも俺にはしゅんとして見えるよ!」

明瞭な返しに対する応えが浮かぶよりも早く「じゃあ行くね」と岩見は離れて行った。引き止めるほどのことではないからそのまま見送ったが、なんとなく釈然としない気持ちになって首を引っ掻いた。


▽▽▽

ブレザーを羽織り、ネクタイを締めながら衝立の外に出る。装飾の片付けをしていた川森が入れ代わりに着替えに行ったので、作業の残りを請け負うことにした。
閉会式を終えた後の校舎には気の抜けた空気が漂っている。狙っていた一位はとれなかったが、一、二年のクラスのなかでは飛び抜けていい売上結果になったので、クラスメイトたちは疲れた顔をしつつも満足そうだ。俺も薄い疲れを感じていた。終わったなという感慨のようなものも少し。それと、……あとはなんだろう。

あの格好のキヨ先輩を実際に見られて嬉しかった。二人でいられた時間はさほど長くはなかったが、校舎と外の出店を見て回って好きな食べ物を教え合ったり、ボーリングや迷路といった出し物のクラスを横目に見て「盛り上がってるな」と感心したり。
特別何かをしたかったわけではない。浮かれた空気のなかを物珍しい気持ちで歩いて、人の気配から離れた場所でいつものように二人でのんびり言葉を交わして、それが楽しかった。
ずっとどこか対岸のもののようだったこの行事の中にちゃんと自分もいるという感じがして。

だから岩見の言葉が引っ掛かる。いつもなら岩見が言うならそうなのだろうとそれだけで納得していたけれど、今回は首を捻ってしまう。岩見が間違っているというわけではなく、俺が自覚していないから。俺はどうして岩見がああいうふうに言うような状態だったのだろうとそこが不思議だ。
途中で終わりになってしまったからだろうか。本当なら、もう少し長く一緒にいられたはずだから? 思い当たる理由はそのくらいだけれど、そんなことで、と自分で思うから素直に認め難い。だが、他に理由があるか?

「江角、お疲れ。大盛況で良かったね」
「千山」
出口が見えなくなりかけた思考を止めたのは、千山の声だった。ごみ袋を手にして傍にやって来る。袋の中は装飾に使っていた紙や段ボールだ。考え事をしながらも拾い集めていたゴミをそこに捨てるとそれでもう袋は一杯になった。

「そっちもお疲れ」
「眠そうだね」
「ちょっとな」
「江角はいつも目覚めた顔してるから、新鮮だなあ」
目覚めた顔ってなんだ。
袋の口を縛るのに手こずる千山から袋を受け取って中身を潰すようにしながら縛り、膨らんだゴミ袋がいくつかまとめられていた場所に固めて置いた。それから二人で並んで窓に貼り付けられていた飾りを外していく。
岸田は閉会式のときから見かけていない。風紀の方でやることがあるのだろう。金井は力仕事に駆り出されたらしい。


「あっ、呼ばれてる。あっち行くね」
「おう」
緩く会話をしていた千山が離れていく。
一人になると、また思考に耽ってしまいそうになるが、別に答えが出なくてもいいことをぐるぐる考えるのはやめておこうと自分を律する。俺は黙々と後片づけに精を出した。



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