My heart in your hand. | ナノ


▼ 28

もう一度空を見る。先程露天風呂から見上げた空よりも尚見える星が多い。

「……、きれい」
茫然と紡がれた、そんなちゃちな感想に先輩が頷く気配がする。
「だろ。―俺が一番好きなところなんだ。地元の友達にも誰にも、教えたことなかったんだけどさ。ハルには知ってほしかった」
静かに続けられた言葉に、耐え難いような気持ちになって、ぎゅっと目を閉じる。

誰にも教えていなかったという、この絶佳の星空を、見せたいと思ってくれた。
嬉しい。とても綺麗だ。こんなふうに特別を差し出されて嬉しくないはずがない。なのに、どうして俺は今、泣きそうになっているのだろう。
嬉しいです、と笑ってお礼を言いたいのに、心臓が熱くて笑うどころか眉間に力が籠もる。
息を詰めているうちに、胸の奥から溢れた熱いものが全身に満ちていく。美しいものによる感動か、彼の行為に対する歓喜か、もっと別の何かか、あるいはその全てか。分からない、けれど、これは冷えて失せる熱とは違う気がした。
気持ちを落ち着けるために深く息を吸った。キヨ先輩を見る。溢れはしなかったが、きっと潤んでしまっている俺の目に、先輩は虚を突かれたような顔をした。

「ハル?」

黙ったまま、お互いに離すのを忘れて繋がれたままだった手を腹の辺りまで持ち上げて、両手でキヨ先輩の手を握る。
さらりとしていて、白くて、俺より体温の低い手。
本当は、感激した岩見がするみたいにぎゅっと抱きついてしまいたかった。それをしていいものなのかどうか、俺には判別がつかなかったから、代わりにせめて、握ったこの手から全部伝わってくれればいいのにと思う。

心のなかで繰り返し彼を呼ぶ。
もどかしくて苦しいような感覚を、どうしたらいいのか分からない。

この人に近い場所に居る人間は、少なくない。風紀委員長で、人望があって、皆が彼のことを好いている。
後輩として可愛がってもらえるのも、その手で頭を撫でられるのも、多分俺だけではない。
でも、それでも、照れくさそうに嬉しそうに笑うのを見ることが出来たり、彼が自分にとって特別なものを見せたいと思ったりする相手というのはそう多くはないのではと、うぬぼれてもいいだろうか。

俺にとってキヨ先輩の存在がより大きく、より大切になってきているのと同じように、先輩が俺を特別だと感じてくれていたなら。それは、目を開けていられないほど嬉しいことだと思うのだ。

「キヨ先輩、俺―」
「うん」
少し手に力を込めると、キヨ先輩も先程と同じように握り返してくれた。
白くて長い指を見つめながら口を開く。
「俺、なんて言ったら伝わるか、分からないんです、けど。……こんなに綺麗なものを見たの、初めてって気がします。すごく綺麗で、見られて嬉しい」
「うん」
ぎこちなく話す俺に、キヨ先輩はどこまでも柔らかな表情で優しく相槌を打ってくれる。ちゃんと聞いてるよ、と星に光る目が言う。

「――それ以上に、先輩が」
息が詰まって声が少し掠れた。乾いた唇を舐める。
俺? と目を瞬いた彼を見て、笑う。泣き笑いみたいな変な表情になっている自覚がある。
「あんたが、一番好きだと思っている場所を、誰にも教えたことない場所を、俺に教えたいと思ってくれたことが、死にそうなくらい……嬉しい」

ありがとう、となんとか言えた。唯一の(よすが)であるかのように握りしめていた手をもう一度ぎゅっと握ってからようやく離す。

言うべきことを言えたと安心したら、少し冷静になった。すると痒いことを言ったな、と気づく余裕が生まれた。
恥ずかしくなって、先輩がどんな顔をするか見られなくて視線を下げたのとほとんど同時に、勢いよく引き寄せられて肩同士がぶつかった。

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