My heart in your hand. | ナノ


▼ 18

旅館から麓の駅までは、ここに来たときと同じくバスに乗った。歩いていきたいというあやめちゃんを先輩が諭した結果だ。歩けば三十分程度かかるらしいから、当然の判断だと思う。

バス停に降り立った途端、熱気が顔に触れる。相変わらず肌寒いくらいに冷房の効いていたバスの中との差で余計に暑く感じた。もう太陽は山の向こうに隠れて薄暗くなってきているのに。

暑い、と勝手に声になった。Tシャツの襟をぱたぱたと煽って気休め程度の風を送り込んでみる。
「盆明けても、あんまり涼しくなってないよな」
「ですね。でも、夏がすぐに過ぎて早く寒くなるよりはいいです」
「はは。寒いの苦手なんだったな。冬のハルは、あまり動かなそう」
「極力あったかくしてじっとしてたいですね」
真面目に答えたが、この気温だと冬の寒さはあまり思い出せない。なんとなく実感のこもらない響きになった。

バスの中からずっとわくわくした雰囲気だったあやめちゃんの背中を追って、歩き出す。足元気を付けて、とキヨ先輩があやめちゃんに呼び掛ける。

「キヨ先輩はいいお兄ちゃんですね」
「え、そうかな。普通だと思うけど。そういえば、ハルも兄弟いるんだったっけ?」
「はい、兄が一人」
「お兄さん、ハルと似てる?」
こちらを見たキヨ先輩が笑顔で問う。
先輩と陽慈の方が歳は近いのだなとふと思った。二歳差だって大人になれば大した差ではないはずだけれど、高校生の今は大きく感じる。

「どうでしょう……、あんまり似てはいないと思います。冷たそうな雰囲気なのが一緒って言われたことはありますけど」
俺と陽慈が並んでいるのを見てすぐに兄弟だと分かる人は、あまりいないのではないだろうか。俺達は顔付きも体格も違う。
雰囲気が似ていると言ったのは陽慈と仲が良い友達だから、的を射ているのかもしれないと思って伝えてみる。

「そっか。でも俺、ハルのこと冷たそうって思ったことないけど」
「そうですか? とは言っても、優しそうにも見えないでしょ。俺、自分でもやたらキツい顔だなって思うことありますし」
笑って言うと、先輩も「まあ確かに優しそうではないかな」と悪戯っぽい笑みを見せてくれた。

「お兄ちゃんたち、はやく来てー!」
声が聞こえて、揃って前を見る。少し先で立ち止まったあやめちゃんが大きく手招きをしていた。そばにいる同い年くらいの女の子たちは友達だろうか。

道を行く人は皆同じ方向に向かっており、進むほどに増えていく。浴衣姿も多くて華やかだ。祭りの前の浮足立つような空気が流れていて、俺も少しずつ楽しい気分になってきた。

「遅いよぉ、二人とも」
「あやめが早いんだよ」
二人の会話に笑う。風に乗って祭囃子が微かに聞こえた。


▽▽▽

色とりどりの屋台が並ぶ川辺(かわべ)りの通りに着く頃になって、ようやく夜の気配が漂いはじめた。空はまだ青いが、地上は薄暗い。照明に照らされた屋台の傍から少しでも外れると、もっと暗くなる。
人混みは歩くのに不自由するほどで、はぐれないようにするだけでも大変だった。キヨ先輩があやめちゃんに手を離すなと言い含めていたのは正解だ。

夕食は屋台で済ますことにしていたので、どこかで座って食べようと話していたのだが、あまりに人が居すぎて、どこに座れるところがあるのか俺には見当もつかない。

浴衣姿の女性にぶつかりそうになって身を躱す。けれど相手も同じ方向に動いたから結局体が当たってしまった。バランスを崩したのか半ば抱きつかれるような格好になる。
「きゃっ、……ごめんなさい」
「いえ」
「ハル」
そのままの姿勢で見上げてくる女性に、すぐに離れろよと思いながら応えたところで、ぐっと腕を掴まれた。振り返ったキヨ先輩が「こっち」と促す。腕を引かれるまま従うと、女の体が離れて赤い浴衣が人混みに紛れた。

「すみません、ありがとうございます」
「うん。―はぐれないようにしとこう」
聞き逃してしまいそうなくらいの声で呟いて、先輩は一度俺の腕を離し、すぐ手を掴み直した。ぎゅっと握られて、反射的にこちらからも握り返す。

引かれるまま歩き出してから、はぐれないためとはいえ、手を繋いだ状態になっていることに気が付く。あやめちゃんだと何も思わないのに、先輩だと少し恥ずかしい。
子供ではないからだろうか。
さらりと乾いた手は、この蒸し暑さのなかでも少しだけ冷たかった。


prev / next
しおりを挟む [ page top ]

110/210