ダイヤモンドをジャムにして | ナノ



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たらたらと舗道を歩く。右手には花壇と寮の壁。左手には芝生と桜並木というきれいな道だ。風はほとんどないけれど、ときどき薄ピンクの花びらがひらひらと視界をよぎる。太陽はほわほわと体を温めてくれていた。こういう日は、気分がいい。
桜並木が途切れたところでおれも道を逸れて、庭の奥へと進む。目的はないし、ここがどこかも知らない。ただお散歩しているのである。
あわよくばどこかあったかいところで気持ちよくお昼寝したい。

ふかふかした芝生を踏む感触が楽しい。鼻歌でも歌いたいような気分で足取り軽く歩いていく。やがて背が高い樹と行き合った。幹が太く、葉っぱはすっきりした緑。おれは目元に手をかざしてその樹のてっぺんを仰いだ。光がきらきらとまぶしい。大きくて真っ直ぐな樹だ。

ふんふんと頷きながらその樹の周りをぐるりと一周歩いてみる。根の張り具合がなんとも威風堂々。一番出っ張った根と幹の間に収まるようにして腰を下ろした。膝を抱えて幹に背をくっつけると元からそうやって座るための場所みたいにしっくり馴染んだ。
しばしぼんやりと空間を堪能する。静か。あったかい。気持ちいい。じわじわと眠気がしみだしてくる。膝に顎を乗せておれはそっと目を閉じた。


ふわふわと柔らかいものに包まれているような眠りの中。誰かが傍に寄ってきて、髪に触れた気がした。すぐに離れたその手がまた伸びてきて、優しく撫でられるような心地よさ。
夢だろうか。ちょっといい夢だなあと目を閉じてほとんど眠っている状態で笑ったとき、ピピピピ、と高い音が鳴った。せっかく気分がよかったのに、なんて不粋な音だ。顔をしかめて早く止まれと思うけれど、音はなかなか鳴り止まない。
しぶしぶと目を開けて、ようやく鳴っているのはおれのスマホだということに気が付いた。カーディガンのポケットに手を突っ込んで端末を引っ張り出す。明るさに馴染まない目を細めながら画面をタップして耳にスマホを当てた。

「ふあい」
『すい、お前どこにいんの』
「わかんない。外―」
『なに、寝てた?』
「ん。どしたの、(こう)くん」
『俺の部屋来い。迷うなよ』
「んあーい……」
ぐしぐしと目を擦りながら返事をして通話を終了する。時刻はいつの間にか正午を過ぎていた。まだ寝ていたかったけれど、お腹もすいてきた。大きなあくびをしたおれはのろのろ立ち上がり、寮を目指して歩き始めた。
誰かいたというのはやっぱり気のせいだったらしい。木の傍にはおれの他は誰もいなかった。

電話の相手である香くんは、おれの二番目の兄だ。客観的にみても主観的にみても、香くんとおれはとても仲の良い兄弟だと思う。幼い頃、後ろをついていきたがるおれを香くんが邪険にしたことは一度もなかった。遅れそうになれば手を引っ張って、香くんは絶対におれを遊び仲間から外さなかったし、お荷物扱いされたこともなかった。
そんな関係は成長してからも続いて、荒れている訳ではないのに何故だかことあるごとに問題を起こす兄が周囲から不良と目されるようになると、おれも自然に遠巻きにされるようになった。

あれ? おれって同学年に友達少なくね? と思い至ったのは香くんが中学を卒業して、同時にわいわい楽しく一緒に昼休みを過ごしていた人たちも皆卒業してしまって、時間を持て余したときだった。
同じ学年にも一応、普通に喋ったりつるんだりする子たちはいたけれど、休みの日に遊ぶほどの仲ではなかった。おれはそれを友達ではなく同級生と呼ぶと思う。

遊び仲間たちはそこそこ進路がばらけて全員で集まって遊ぶのは長期休暇くらい。ずっと何年も皆で一緒にいたから寂しくて、でも成長ってこういうことかなぁとしみじみ思ったりもした。
進路を決める時期、おれも狭い交友関係から脱して新しい環境で頑張るべきかと考えて、それを何気なく話したら、香くんはびっくりした顔で「お前がいなきゃつまんねぇよ」と言った。たぶん、香くんはおれが当たり前に同じ学校を選ぶと思っていたんだろう。おれは友達の進路がばらばらだったから無意識に自分もみんなと違う学校に行かなきゃと思っていて、同じ学校という選択肢が頭になかったから、それを聞いたとき目から鱗みたいな気持ちになった。
おれだって香くんも皆もいない一年はかなりつまらなかった。悩まずつるっと「じゃあ香くんと同じとこに行こうかなあ」と言っていたのはそのせいだと思う。

そうしてとんとん拍子に親の快諾をもらい、それなりにお勉強もして、香くんと同じ高校を受験して合格通知を受け取った、というわけ。


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