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図書室で顔を合わせるから、と言ったら押しかけてきそうな勢いなのでそこははぐらかすことにする。俺の友人のせいで迷惑をかけるわけにはいかない。

「お前、僕の話ちゃんと聞いてないでしょ!」
「何がだよ」
「僕、前に江角くんって一年生が格好いいって話したじゃん」
「顔と名前が一致してない子の話されてもなあ。覚えてられないって」

なるほど、そんな話も聞いたかもしれない。とはいえ、この友人はほぼ年がら年中イケメンの話をしているのでその中に出てくる一人一人を覚えておくのは困難というものだ。前会長の親衛隊に所属しているはずなのに、本当にただの面食いというかイケメンに対して節操がない奴だ。
それにしても、あの子、江角くんはもしかして有名人なのだろうか。男の顔の美醜に大した関心がないせいで、友人の話に限らずその手の話題は右の耳から左の耳へと抜けがちだ。

「いいなあ、いいなあ。僕も江角くんと知り合いになりたいー」
「はは。お前、イケメンなら誰でもいいんだな」
「そんなことないよ」
「あるだろ……」
小早川会長が卒業したら今の会長の親衛隊に入るとか語っている奴が何を言う。

「そういえば、この間聞いたんだけど」
「うん?」
「江角くんって、好きな子いるんだって! 誰か知ってる?」
「いや、知らねえよ。名前も知らなかった程度の顔見知りだぞ?」
「それもそうか。使えないなあ!」
「失礼な奴だな」

友人に呆れた目を向けながら、江角くんの好きな子というワードが頭の中をぐるりと回る。

「絶対めっちゃくちゃ可愛い子だよね、じゃないと納得できないし」
「お前の納得なんていらないだろ」
「なんでそういうこと言うの!」
「痛い」
殴られた肩をさすりながら、思考を巡らす。

「……好きな子ねえ」
「え、なんか言った?」
「いや、なんでもない」

ぼんやりと思い出されたのは、本を触る彼の指先と、それから風紀委員長と一緒にいる時の表情だった。


▽▽

引き戸が開く、おなじみの音に現実に引き戻される。今日の分に予定していた作業が終わってから読書に没頭していた。今日も今日とて静かな空間を共有していた江角くんが帰ったのだろうかと入口を見て、ああ、と目を瞬く。
外国の血が入っていそうな男前がこちらを見て挨拶代わりのような笑みを浮かべる。それに会釈で応えてから、ついちらりと件の一年生の方を見てしまう。

この間と同じ手前の書架の前に立った江角くんは、立ち読みのまま熱中してしまった様子で、戸が開いた音にも気が付いていないらしい。案の定、元風紀委員長の鷹野さんはそちらに向かっていった。
何気なくその背を目で追うと、すっと彼の隣に立って突然肩を組むという案外お茶目な真似をしたので驚いてしまった。「うわっ」と珍しく焦った様子を見せた江角くんの反応に楽しそうに笑う。そういえば、この人の方も普段はこんなに笑っているイメージがない。まあ、俺が知っているのは委員会の仕事をしているときの彼くらいのものなのだが。


「びっくりした、なにするんですか」

声が笑っているので本気の抗議ではないのだろう。鷹野さんも気安い様子で「この間の仕返し」と答えている。江角くんには何のことか分かったらしく、見開いていた目を眇めて笑った。

「いつのこと言ってるんですか、っていうかあの時全然怒ってなかったのに」
「根に持ったフリをしてる」
「なにそれ」
他愛ない会話をしてくすくすと笑い合っている。相変わらず仲が良い。

「先輩、なんか顔赤い気がするんですけど。体調悪い?」
ふと笑みを引っ込めた江角くんが鷹野さんの顔を覗き込んだ。そうして、その手がごく自然に頬を撫でた。その仕草は、本に触れるよりもよほど丁寧に優しい。
――まあ、そういうことなのだろう、と思う。物と人は違うだろうと言われるかもしれないが、なにしろそういうのは仕草に表われるので。

「いや。職員室に行ってたんだけど、エアコンが効きすぎてて」
「そういうことか。よかった」

和やかな会話を聞き流しながら顎を撫でる。江角くんの好きな子はめちゃくちゃ可愛いはずと、友人は言っていたが。

「……可愛いというより、"格好いい"だよなあ」
思わず声に出して呟いてしまっていた。有難いことに二人には聞こえていなかった様子だ。独り言を言う不審人物と思われたくはない。

江角くんがさっきまで熱中して読んでいた本について話している彼らの距離は相変わらず近くて、二人とも笑顔。そういうのを見るとやはり俺は、ちょっと楽しさのおすそ分けでも貰ったように微笑ましい気分になるのだ。

この空間が乱されるかもしれないようなことを口にする気は一つも湧かない。彼らは在るように在るだけだし、俺もそうだ。じろじろ見ないのが良識というものだよな。
うんうんと一人頷いて、俺は小さな声で会話をする彼らから手元の本へと意識を移したのだった。



(次はあとがき)