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「わかる。俺もこの作家ではあれが一番だな。入ったら知らせるよ」
「どうも。二番目に予約しときます」

一番は俺が読んでいいということか。分かった、と答えたところで会話は終了したかと思ったが彼は俺を見下ろしたまま「そういえば」と口を開いた。

「うん?」
「この間薦めてもらったやつ、良かったです」
「ああ! あれな、そうか、よかった」
「教えてくれてありがとうございました。返すとき伝えたかったけど、その日は居なかったから。」
「いえいえ。気に入ってもらえてよかった。突然薦めてしまって、ごめんな」
「全然。あの本は多分、自分からは手に取らなかったと思うから」

嬉しくて顔がほころぶ。一週間ほど前、読書仲間がいなくて面白い本を読んだ感動を伝える機会がないせいで、思わず書架の間に立って本を吟味していた彼に手に持っていた本を薦めてしまったのだ。
互いに名も知らない相手から突然声をかけられ、驚いた顔をした彼に後悔と羞恥に襲われていたところを、受け取って借りて行ってくれただけでありがたかったのに、お礼を言ってくれるなんて彼はなんていい子なんだろう。読書が好きで真面目そうな静かな子だし、こんな子が委員会にいてくれたらいいのに。


「じゃあ」と再度会釈をしてから、彼は年代の新しい書籍が多くある、手前の書架に向かった。受け取ったまま手に持っていた本の、修繕するページを開きながら、ちらりとそちらに目をやる。
並ぶ本の背表紙を眺めている横顔が綺麗だ。雰囲気も垢抜けていて、読書が趣味というタイプには見えない。彼は、イケメンは本とか読まないだろう、という俺の偏見じみたイメージを覆した二人目の人物だ。ちなみに一人目はこの間まで風紀委員長だった人物。
彼とも当然顔見知りなのだが、こちらは会話をしたことがない。先輩で風紀委員長ともなると、気軽に声をかけてはいけない気がする。俺のミーハーな友人が、彼を様付けで呼んでいるというのもハードルを高くしている一因だと思う。

別に、彼自身を悪く思っているわけでは決してない。こちらを見て「頑張っているな」というように小さな笑みを向けてくれる人が悪い人なわけがないし。そして、かの一年生と風紀委員長はどういう縁かは知らないが、親交がある。
よくここで一緒にいるのを見るし、委員長なんかは時々やってきたときは必ず最初にちらっと一年の彼がいつも座る場所に目を向けるのだ。俺は気付いている。

あの子が笑わないわけではないと、俺が知っているのはそういう理由である。
彼は、委員長といるとよく笑う。潜めた声で会話をして顔を寄せ合って笑っていたりする様は、この学校にヒエラルキーが存在するなら最上に存在するであろう人たちにこう言ってはなんだが、微笑ましくて可愛らしい。
会話など聞こえないし聞こうとも思わないが、仲が良いのだなあとじんわりと伝わってくるというか。


ついぼんやりと見つめてしまっていた視線の先で、ふいに手を伸ばした彼が一冊の本の背を指先で撫でた。つ、とその本を引き出す。何気ないその仕草がとても丁寧で、ああ、いいなあと思う。
前の風紀委員長も、そんな風に本に触る。彼らは本当に本が好きなのだ。そういうのは、手つきに表われる。
雑に扱われた本を見たばかりだから、殊更に好ましかった。つい浮かんでしまった笑顔を隠すために俯いて、作業に戻る。

西日はいつの間にか角度を変えて、閲覧スペースに濃いオレンジ色を落としていた。



▽▽

今日の化学は実験だ。普段は教室での講義だが、実験の際は化学室に移動しなければならない。教科書や資料集といった荷物を手に歩いていると、友人が廊下の先に視線を向けて小さな声で「あ」と言った。
それにつられて前を見れば、つい昨日の放課後に見たばかりの顔を見つける。なぜ友人が彼に反応したのかはわからなかったが、こちらに気付いた彼が小さく頭を下げてくれたから俺もいつものように返礼をした。

そのまま何事もなくすれ違い、そういえば図書室の外で彼に会うのは初めてだなと考えていると、隣の友人にばしばしと背中を叩かれた。

「痛い痛い。なんだよ」

常にない勢いに目を白黒させた俺をなおも叩きつけながら、何やら驚愕の眼差しを向けてくる。

「何じゃないでしょ!! なんで!?」
「いや、なにが」
「江角くんと知り合いなの!?」
俺が英語のテストで満点をとったときもこんな顔をしていた。つまり、「お前が!? 信じられない!」という目だ。失礼な奴だな、と思いながらその言葉の内容に疑問を抱く。

「江角くん? って、今の子のこと?」
「決まってるでしょ!」
流れ的にそうなのだろうが、なにしろ俺は彼の名前を知らない。力強い肯定が返って、ふうん、と頷く。

「あの子、江角くんっていうのか」
「そこじゃない!」
叫ぶ声がうるさくて耳を覆う。

「なんだよ、うるさいな。ちょっと顔見知りなだけだよ。お前こそ、なんで一年の名前なんか知ってるんだ」