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自分のことが、嫌いだ。とても。
理由は数えきれないほどあるけれどその最たるものは、確実に自身の性的指向。俺は自分が同性愛者であることを漠然と、しかし確実に理解していながら、ずっとそれを受け入れることができないまま生きてきた。

中学のとき、一年生の間の数ヶ月、俺は虐めというものの標的だった。オカマ、女男、ホモ、なよい、気持ち悪い。他にもたくさん、ぶつけられた言葉は全部俺に真っ直ぐに突き刺さって醜い傷を作った。

別に、周りの人間は俺がゲイだと、本気で思っていたわけではなかっただろう。その頃の俺は小柄で、女の子に間違えられることもあるような男だったから、それを揶揄した連想が、ホモだという言葉につながったのだということを俺はちゃんと知っていた。
知っていたけれど、俺は、俺が本当にゲイなのだということも知っていたから、その悪意を多分に含んだ言葉を受け流すことができずにいちいち打ちのめされていたのだ。俺はなけなしの自尊心を踏みにじられて再起不能なくらいに叩きのめされたのだと思う。
「人と違う」ことは悪いこと。淘汰されること。俺はそう学ばずにはいられなかったのだ。あの期間がなければ、きっと俺は今の俺とは違うものだったと思う。

男の心を持っていながら男を好きになる俺は、心が女性である男が男の人を好きになることよりもっと歪なものに感じるようになった。俺を虐げていた人間の誰よりも、本当は、俺が一番、俺のことを気持ち悪いと思っていた。

俺には自分が目を背けていたいような醜い化け物にしか見えなかった。今だって、例えるなら人間の皮を被った状態。継ぎ目から中身が見えてしまわないかと、ことあるごとに怯えてしまう。


―そういう俺が、唯一心の底から安心して何にも恐怖せずに、自己嫌悪すらも消し去って笑えるのがエスの隣。エスは友達という以上に大切な存在で、愛してるって軽口もあながち単なる冗談ではなかったりする。そしてそんなエスが、はじめて好きになった人は男の人だった。

エスが気付いていないときから、俺はエスの気持ちに薄々気がついていた。エスは優しい目で俺のことを見るけれど、委員長を見るときのあんな表情は、今まで見たことがない。
それに、委員長の方はもっと分かりやすくエスに好意を寄せていた。

ああ、この二人はいずれきっと恋人になるのだろうとふと気がついたとき、俺は覚悟をしなければならないことを同時に悟った。
それは、同性を好きになるとか同性と付き合うということを認めて受け入れるという覚悟だった。

だって俺は同性愛者の自分を気持ち悪いと思う。なんで俺は普通じゃないんだろうって怖くなる。けれど、エスのことをそんな風には絶対に思わない。エスの気持ちは、気持ち悪くなんかないし、異常でもない。
俺が俺を受け入れないということは、俺の一番大事なエスの、大事な想いを祝福できないということではないのか。

そう考えたら、もう逃げるわけにはいかなかった。


俺はエスの親友だ。それをとても誇らしく思っている。エスが俺を大事な友達として扱ってくれていることが伝わってくる度、こいつに認められているなら、俺はなかなか悪くない人間かもって、冗談混じりの自己肯定が出来るくらい、エスは俺にとって大事で特別な人。
そんな人の幸せを祝福できないくらいなら、いっそボロボロになって死んでしまった方がいい。

恐怖も嫌悪も、自分がゲイだということに関わる負の感情の何もかもを束にしたって、天秤にかけるまでもなく、俺にはエスの方がずっと大切だった。



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