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学期末のテスト期間が終わり、翌週には続々と採点されたテスト用紙が返却される。キヨ先輩の合格発表はその更に翌週の今日だった。昨日、「俺の方が緊張する」と言うと、キヨ先輩は笑って、一番に知らせたいから授業が終わるのを待っていると返してくれた。
三年生は一二年より早く期末兼学年末の最後のテストを終えていて、今、授業はほとんど自習やあらゆる大学の過去問対策になっているそうだ。今日も他学年より一時間は早く放課になるらしい。

終礼を終えた俺は、教室の賑やかさに頓着せず落ち着かない気持ちでスマホを見た。「図書室で待ってる」という簡潔なメッセージを読んで、すぐに席を立つ。
声をかけてくる数人のクラスメイトに短く挨拶を返しながら教室を出て、図書室に向かう。放課後の喧騒からどんどん遠ざかって、図書室前に至る頃にはすっかり廊下は静かだった。立ち止まると同時に、きゅっと靴底が小さく鳴る。

引き戸に手をかけて静かに開き、中を覗き込む。いつも人気のなかった図書室は、最近、数人の三年生の勉強場所になっている。とは言え、一心不乱にペンを動かしている彼らは、騒がしくしない限りこちらを気にしたりはしないけれど。
キヨ先輩はいつもの席に座っていたから、すぐに見つけられた。

開けたときと同様、そっと戸を閉めて中に入ると、すぐにこちらに気付いて晴れやかに笑いかけてくれる。自然と笑み返してしまうような明るい表情で、翳りはない。いい報告が聞けると確信して、安堵に包まれた。

「キヨ先輩」
ごく小さな声でも届く距離まで寄る。先輩は微笑んだまま静かに椅子を引いて立ち上がった。そして自然な動作で俺の手を取って、書棚の方に向かう。引っ張られるがままに着いていきながら、少し驚いた。以前は、人前は嫌がるだろうと誰の気配もない場所ですら気にかけたのに。
俺の意を汲んだように振り返ったキヨ先輩は、声は出さずに「誰も見てないから」と口を動かした。ちょっと楽しそうに、イタズラでもしているみたいにくるりと瞳を動かすのを見て、笑ってしまう。

確かに人は見ていない。それに、驚きはしたが全く嫌な気分ではなかった。俺を慮ってくれるのは彼の気質だし、それを好ましく思っているけれど、遠慮なく振る舞われるのは同じくらいかそれ以上に嬉しい。
俺が受け入れると彼が分かっていることも、甘えられているようであることも、俺の好意が伝わっているという表れだと思うから。

拒絶の気持ちがないことを教えるために、こちらからも手を握ってゆらりと揺らした。機嫌良く口角を上げたまま、先輩は奥の書棚に歩いていき、手に持っていた本をそこに納めると、振り返りざま俺に抱きついてきた。ちょっとたたらを踏んで受け止め、ぽんぽんと優しく背中を叩く。

「ハル」
耳のすぐ横で小さな声を聞く。吐息がかかってくすぐったかった。

「合格してた」
はい、と俺が呼び掛けに答えるより前に、やや早口で告げられた。きっとそうだろうと予想していても、それを聞いた瞬間には喜びが湧いた。
少し体を引くと、キヨ先輩は鼻と鼻がくっつきそうな近さで、きゅうっと三日月の形に目を細めて「受かってると思うって言ったろ?」と言う。自分でもわかっていたという口振りでありながら、ちょっと得意気でかなり嬉しそうなその表情に、心臓がぐっと痛くなって、俺はやや手荒く今度は自分から抱き締め直した。

背中と後頭部に手を回して、加減なくぎゅっと力を込める。先輩が吐息で笑う。良かったなぁと心から思った。人の出した結果でこんなに嬉しくなることがあるとは思わなかった。

「……良かった。おめでとうございます、キヨ先輩。頑張りましたね」

言いながら、「いい子」と冗談まじりに労ったのを喜んでくれたときのことを思い出したから、「偉い、偉い」と続けて柔らかい髪を撫でた。密着した体からは彼の動揺が顕著に伝わった。どんな顔をしているのか見たくなって、覗き込む。
キヨ先輩は唇を引き結んで、明らかに照れていた。可愛い。なんでこの人はこんなに俺の心を擽る表情が出来るのだろうかとつい真剣にその顔を目に焼き付けていると、むにっと両頬を軽くつねられた。

「なんでこんな、キスも出来ないところでそんな可愛いことすんの」
不満げな顔をして何を言うかと思えば。可愛いのあんただし、ハグをしている時点でその訴えは今更だと思う。俺は声に出して言い返す代わりに、眉を上げて首を傾げた。



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