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「寒い……もう帰りたい」

首を縮めながら低く不満をこぼしたら、「まだ外でてから十歩も歩いてないよ」と笑い混じりに窘められた。俯き気味にマフラーに顔を埋めて横目で岩見を見る。

「お前、なんでそんな平気そうなの」
「5℃くらいまでなら俺は割りと耐えれるー」
「羨ましい」
心から言う。寒波がどうとかで、今日は一段と寒いのだ。12月下旬並みと言っていたし、俺が大袈裟なわけではない。
なだらかに下降していた気温ががくんと一気に落ちた感じ。
喋る度に息で目の前が一瞬ふわふわと白く烟る。視線を靴に落として、早足で歩いている俺の隣に軽い足取りで並んでいた岩見が「あっ」と声を上げた。

「エス、あれ委員長じゃない? おーい、委員長ー!」

何事かと顔を上げた俺は、そんなふうに言われて、釣られるように岩見が見ている方に視線を向けた。道の先の、少し離れた所を歩いていた長身の後ろ姿が、呼び声に反応してくるりと振り返る。
岩見の言う通り、それはキヨ先輩だった。彼は目を丸くしてからにこっと笑って、立ち止まったまま俺たちが近付くのを待ってくれた。

「おはよう。ハル、岩見」
「おはよーございます!」
「……おはようございます」

朝から優しく笑うキヨ先輩に会えたことで、胸の内がじわりと温かくなる。会釈した俺を目を細めて見てから、キヨ先輩は岩見に「もう委員長じゃないぞ」と呼び方を訂正した。

「あーそっか。そうですね、じゃあなんて呼ぼうかなー」
「なんでもいいよ。あ、でもキヨ先輩以外がいいかな」
先輩が平然と言ったことに岩見もまるで普通みたいに「それは当然ですよ!」などと返す。キヨ先輩と呼ぶのがなぜダメなのか俺にはよくわからない。

「ええと、じゃあ俺は鷹野先輩って呼びますね! 先輩呼びは、エスの真似して親しみの演出ってことで」
「わかった。……というか、ハルが先輩っていうのにそんな意味があったの知らなかったんだけど、まじで?」
「マジですよー。付け加えるとエスが先輩って呼ぶのは委員長、じゃなかった、鷹野先輩だけっす」
「……うわー。まじか―」
「嬉しそうで何よりですー」

俺がぽかんとしている内に二人の会話は流れるように進む。俺は疑問符を浮かべつつ、二人が仲良さげなことに嬉しくもなった。

「―あれ、ハルどうした?」
微笑みながらこちらを見た先輩は俺が黙っていたからか目を瞬いて少し心配そうな顔になる。それからあっ、と声を上げた。

「ごめん、立ち止まってたら寒いよな。今日、いつもより冷え込むし。歩こう」
「はーい」

気遣わしげな声で言った先輩と、軽く返事をした岩見に挟まれて止めていた足を動かし始める。キヨ先輩の片手は促すように俺の背中に添えられている。
俺は疑問に思ったことを素直に尋ねてみることにした。考えても答えは出ない類いのものだと思ったから。

「なんで……」
「うん?」
「なんで呼び方、キヨ先輩っていうの以外、なんですか?」

ちらりと視線をやると、先輩はああそのことかというふうに軽く頷いてから少し照れたふうに笑みを作った。

「ハルに呼ばれるのは、特別だし、キヨ先輩っていうのはハルだけの呼び方だといいなって、それだけだよ。ガキっぽい理由だけど」
不意打ちで、言葉が出なかった。ただ、またこの人は、と思う。

「あは、エス照れてるー」

視線をさ迷わせて、結局無言のままだった俺を岩見が反対側からからかってくる。



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