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全くもって滑らかに吐き出された言葉に目の前の男は唖然とした。
視線をおろせばハルも目を丸くして俺を見上げていて、俺はあれ、と自分が発した台詞を反芻した。今、俺は何かとんでもないことを言わなかっただろうか。

「あ。―違……」
「いや、合ってるでしょう」
否定しようとしたのは何か考えてのことではなかった。しかしそれに被せるようにハルがあっさりとそう言ったから俺は口をつぐんでしまう。
「は、……? なに、意味わかんねえ」
「意味も何も。言葉通りだろ」
「ちょ、江角? 否定しなくていいのか? この人変なこと言ってんじゃん、やばくね―?」
「だから合ってるんだって。変なことじゃないしやばくもねえよ」
ね? と首を傾げて促され、ほとんど思考もままならないまま子供みたいにうん、と頷いた。
え、いいの? いいのか?

「つ、付き合ってる―って、ことか?」
「そういうことだな」
人の道理を説くみたいな、はたまた天気の話に応じるみたいなそんな調子で、そういうことだな、って。

湿り気のない声音で特別な感情もこめていない感じの、ハルにとってはただの相槌に過ぎないらしいそれを聞いて、胸を衝かれた感覚がした。
反射のように涙が出そうになって、それを堪えたら次はぶわっと表皮が赤くなった。いや、赤いかどうかは分からないけれど体感温度がかなり上がっているから恐らく赤くなっている。

相手は、しばらくはくはくと口を開閉していたが、何か言う気力もなくなったみたいにふらふらと離れていった。そして俺は嫉妬してどろどろしていたはずなのに今は混乱と歓喜の渦に呑まれている。こんなこと誰が予想できた?


「ハルは俺のことが好きなんだ、だって」
男の後ろ姿が見えなくなるまでそっちを見ていた俺は、先程の発言を繰り返されてぎくりとしてハルを見下ろした。照れた素振りもなく、喜色だけが滲む顔で珍しいくらいににこっと笑いかけられる。
う、と俺は少し怯んでしまった。

「、からかうなよ……。ごめん、やばいな。―あーどうしよう」
「何がどうしよう?言いたくないことでしたか?」
「ちがう、そうじゃなくて……あんな、」
あんなふうに嫉妬を剥き出しにして、小さな子供みたいに優位を主張して、みっともない。情けない。
恥ずかしかった。決まりが悪くて唇を歪める。ハルは立ち上がると座面に片膝を乗せて、背もたれ越しに俺と向き合った。両肩に伸ばしたままの腕がひっかけるように乗せられる。わずかな重みがあって、顔が近づく。視線を泳がせる俺を、切れ長の綺麗な目がじっと見つめた。
「先輩があんなふうに強い口調で話すの初めて聞いた」
「、うん……。ごめん、余裕なくて。きりないなって分かってるけど、嫉妬する―」

目を瞬き、ハルは少し顔を傾けた。眼力が強いというのか眼光が鋭いというのか、とにかくくっきりと印象の強い目に、髪の先がかかる。

「――言ってたこと、分かった」
何かを頭の中で確認しているかのようにゆっくりした言い方だった。

「え?」
「前に、俺が嫌な気持ちになってるのに嬉しいって、言ってたでしょう」
ハルが嫌な気持ちになって嬉しい? 俺が? そんなはずないだろ、と一瞬動揺した。けれど、すぐに思い当たる出来事が導き出される。あの時だ。ハルが俺を好きだと言ってくれたとき。
ハルが嫉妬したという話を聞いて、俺は、
「言った、な。そんなこと」
「俺も今、同じ気持ちだと思います。先輩が嫌な気持ちになることをする気はないけど―不意打ちで嫉妬されると、ちょっと嬉しい」
や、ちょっとじゃないか。
独り言のように呟いて、はにかんだハルが、ごく自然な仕草で顔を近づけて唇同士を触れ合わせた。

数秒、俺の中で時間が止まって、楽園のような柔らかさを少しも取りこぼさないように勝手に全意識が集中した。離れる瞬間にちゅ、と微かに音が鳴る。我に返った俺は体を跳ねさせた。
「―ハ、ハル? ここ、公共の場……」
名前を呼んだ声が若干上擦った。
俺はまあ、もちろん全然いいというかむしろ大歓迎なのだが、ハルからこんなことをするとは思いもよらなかったので。
え、いいのか? いいなら、それはもう、やぶさかではないけれど。俺もキスし返していいかな。

そっとハルの頬に手を添えた。今度はこちらから僅かの距離を埋めようとしたら、ハルは自分で自分の行動に驚いたみたいにぱっと目を大きくして、
「あ。つい」
次にはおかしそうに笑って、「部屋に行きましょう」と俺の手を引いた。
つい、つい……!? と頭の中で繰り返しながら俺は引かれるがまま歩き出した。歩くうちに少しだけ冷静になる。
そうして、多分俺がキスしようとしたことには気が付いていなかったのだろうけれどかわされたような気分になったので、部屋に戻ったら絶対に心ゆくまでキスをさせてもらおうと思った。

腹の底を焦がすような嫉妬心はとうに跡形もなくなっていた。残るは、狭量な独占欲を嬉しいと受け入れられたこととハルが場を忘れてまで俺にキスをしてくれたという事実。
最終的にはあの名も知らぬ一年生に感謝の念すら湧いた。

俺は案外現金な男だったらしかった。


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