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俺が予想外に広まってしまった噂と川森たちの反応について話すのを、キヨ先輩は静かに聞いている。つい一昨日、受験が終わったから、見慣れた参考書や筆記用具はその手元にない。
最近は勉強をしている先輩の傍で課題をしたり本を読んだり、集中している彼を眺めたりして過ごしていた。一緒にいられるだけで嬉しいが、こうやって俺だけに先輩の神経が向いている状態はもっといい。

「で、適当に濁したんですけど―。……先輩、なんで笑ってるんですか」
話しているうちに彼の表情がほのかに緩んでいることに気が付いた。不思議に思って尋ねれば、その笑みに照れが混じる。

「あ、いや……」
「なに?」

はにかむ様子を可愛いなあと思いながら発したせいか、促す自分の声が妙に甘く聞こえた。俺ってこんな声出るんだ、と他人事のように心中で呟く。

「―好きな人がいるって断り方が、嬉しいなってじわじわ喜びが沸いてきて」
「え?」
先輩は、目を瞬いた俺の手をとって、膝の上でとんとんと揺らした。乾いた感触の掌からじんわりと伝わる体温が心地いい。

「だってそれって、俺のことだろ?」
「それ以外ないですね」
「うん。……嬉しい」

噛みしめるような言い方だった。急に羞恥に襲われる。そんなに喜ばれると思わなかった、というか、そういうつもりではなかった。
意図せず気持ちを吐露してしまっていたことにようやく気が付く。直截的な言葉は、他人に言うのは恥ずかしくないのに、本人だと恥ずかしい。

「そういうのは、聞き流してください……」
赤くなっている気がしたので片手で顔を隠す。やや恨みがましい俺の声音をものともせず、キヨ先輩はにこにこと笑っている。

「そんな勿体無いことをしたら、罰が当たると思う」

僅かに開いていた隙間を埋め、肩を引かれる。首元に頬を擦り寄せられて胸が疼いた。可愛くてずるい。不服に思いながらも、反対側の手で色の薄い髪を掬う。するするした髪は自分のものとは手触りが違っていてずっと触っていたくなる。
撫でる手を甘受しながら、ちょっと眩し気に見上げてきた目に窓越しの光がわずかに差し込んで、明るい色が砂子のように煌めいた。

そんな風に瞳の中で光が躍ることも、明るさの加減で色が複雑に変わって見えることも、認識している人はごくわずかだろう。近い距離でじっと見ないと分からない。きっと本人さえ気づいていない、美しいもの。
俺はそれを知っているのだ、と思うと微かな独占欲が、渇く先から満たされる。仄暗い部分から沸き上がった満足感から笑みが浮かびそうになって一瞬目を閉じる。
手の内にあって尚、独占したがるなんて、思慕というのは恐ろしい。

瞼を持ち上げ、俺の様子に不思議そうな顔をするキヨ先輩の目尻を指先で撫でた。先輩が、重ねた手を動かして指先同士を絡める。

「次は付き合ってる人がいるって言って」
「……それがキヨ先輩だってばれたら、騒ぎになりそうですね」
風紀委員長を退いた今も彼の人気は衰えてなどいない。彼と居るときに向けられる視線も、そこに交じる嫉妬も俺にはもう慣れたものだけれど。

「ばれるのは嫌か?」
「全然」
わざわざ言う気はないが、隠したいとは思わない。気付かれて確認されたときは素直に肯定するつもりだ。文句を言われようが関係ない。
先輩は、「俺も同じ」と頷いた。

「先輩も告白されたら、好きな人がいるって言いますか?」

冗談のつもりで言ったら、にっと歯を見せたちょっとやんちゃな笑みが返ってきた。意外な反応に片眉を上げると、すっと耳元にキヨ先輩が顔を近づけた。

「付き合う前から言ってる」

秘密を打ち明けるように潜められていながら、楽し気に弾んだ声が告げた内容を理解するのと同時に耳朶にキスされた。呼気と、恥ずかしくなるようなリップ音がダイレクトに耳に響いた。
二重の意味で驚いて、勢いよく身を引く。ソファーのひじ掛け部分に背中がぶつかった。先輩は、唖然とした俺を見て心底嬉しそうに笑っている。何か言おうとしたが言葉にならなかった。

さっき、咄嗟に押さえた耳が熱い。勝負をしていたわけでもないのになぜか、負けた、と思った。





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