綺麗な人

  あーぁ、なんで私あんな男と付き合ってたんだろう。最低。あいつの何処がよかったのかなんてもう分からなくなるほど嫌。強いて言えばあの紺碧の瞳だろうか。そういえば色が綺麗、だなんて単純な理由で一目ぼれして恋に落ちた気がする。それで付き合うことになったけど、今となってはそんな思い出などどうでもいい。

『死んじまえあの馬鹿ヤロー…』

目に涙を溜めて急ぎ足で夜の街を歩く。悲しいわけじゃなく、悔しい。あんなクズみたいな男に振り回されてきたと思うとどうしようもなく腹が立つ。怒りのあまり地面を蹴る力が強すぎたのかお気に入りのパンプスのヒールが折れてしまった。うわ、最低。突然支えを失った足はどうする事も出来ずにバランスを崩してしまう。これは、転ぶ。きっとすごく痛い。次に来る衝撃に備えてぎゅっと目を強く瞑る。

『……っ!?』

けれども、私の体は地面に衝突することもなく誰かに抱きとめられてしまった。一瞬にして体がこわばる。まさかアイツが追いかけてきたのか、と思い恐る恐る目を開けて私を抱きとめているであろう人物を見上げた。

「大丈夫か?」

私の視界を占領したのは息を呑むほどの美しい顔だった。一瞬女なんじゃないかと思ったが細身の割に体についている筋肉と骨ばった手は男のものだった。透き通るような肌の色に月の光を浴びて光る髪の毛。芸術作品のように美しい、と思った。

「…ぼーっとしてどうした? 俺に見惚れたか?」

少し意地の悪そうな顔でにやりと笑われた。からかわれているのはわかったが見惚れたのは事実。みるみるうちに顔に熱が集まってくる。完全に一目ぼれだ。この年になっても一目ぼれなんてするのか、と少し情けなくなったが心臓はうるさく鳴っている。

もっとこの人の事を知りたい、もっと話したい。

『お名前、なんて言うんですか…』

未だ頭はこの美しい男に見惚れてまったくと言っていいほど働いていないが、私はなんとか彼の事を知ろうとした。

「俺か? …秘密だ」

そう言って口元に人差し指を持ってきてしーっ、とやる姿はとても色っぽい。やはりこの男はかっこいいより先に美しいという言葉がくる。しかし名前を教えてもらえないのは残念だ、何か一つでもいいから彼の事を知りたいのに。

「また今度会ったとき教えてやるよ」

そういった彼はまた会うのは決まっている、というような顔をしていた。納得のいかない私を立たせてもう歩き出してしまっている。幸い家はもうすぐそこだから足を痛めるなんてことはないけど、今日は彼の事を考えて眠れなさそうだ。







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