十九

山崎は手に入れたナマエの結紐を肌着の襟の内側…腹の辺りに縫い付けた。
こうする事により、己の魂に降り懸かる災いを祓う“魂守(たまも)り”としたのだ。

人が知ったら気休めだと笑うかもしれない。
だが山崎は、ナマエの想いが自分を包んでくれている様な不思議な温かさを感じるのだった。



『…』

普通の人間ならば既に眠りに就く真夜中に、山崎は夜目だけを頼りに黒装束を纏っていた。

一々行灯に火を入れる手間が惜しい。
それに彼は、日頃の鍛練の賜物で、月明りのみで十分室内が見渡せた。

衣擦れの音だけを室内に響かせながら、無駄のない動きで手早く支度を整える。
口布を当て、額当てを身に付ける。
そこで山崎は一度瞼を閉じ、結紐のある辺りに手を当てた。

武士の魂は腹に宿る。
結紐をこの場所に縫い付けたのはその考えからだ。

(…行って来る。無事に戻れるよう、見守っていてくれ)

手を当てた箇所がじんわりと温かくなった気がした。
瞬間まさかと思ったが、己の手の熱が伝わっただけかと思い直し、山崎は口布の下で小さく苦笑した。

門の外で監察方の後進達が自分を待っている。
ナマエから受け継いだたくさんのものを胸に、山崎は意を決して今夜の務めに向かって行った。



実際、以後の山崎は間一髪の所で九死に一生を得る場面に幾つも遭遇した。
あの場で生きていられた事が不思議なくらいだ、あれだけの怪我をしてよく生還した、その様な事が何度もあった。

皆からは山崎は類い稀なる強運の持ち主なのだと言われていたが、山崎だけはナマエのおかげだと思っていた。
しかし己を何度も救ってくれるこの魂守りの存在をひけらかす様な事はせず、終生誰にも明かさなかった。

想いは秘すれば強くなる。
御守りとしての力を失わないため、そして、ナマエへの思慕の情を自分だけのものとしておくため、山崎は近しい島田や千鶴といった存在にすら明かさず、誰にも言わないでいたのだ。



鬼の強襲から土方を守るため、身を呈して凶刃を防いだ時、山崎の身体と共に結紐もざくりと切れた。

山崎がその場で命を落とさずにいられたのは、また、皆と共に船に乗り、たくさんの人に思われながら逝けたのは、もしかしたら魂守りが最後の力を振り絞ったからなのかもしれない。

ナマエの結紐は今、山崎の亡骸(なきがら)と共にある。
彼に寄り添うようにして海の底に沈み、今も彼の身体を守っているのだろう。
“二人”は静かに眠っている。

あの春の日の、束の間の幻を夢に見ながら。





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