次に山崎が正気に戻ったのは、息苦しくなったナマエが彼の胸を押しながら顔を背けた時だった。
しまった、という思いが頭から冷水を被ったような感覚を与えた。

ナマエに触れるとつい抑止が利かなくなる。

『す、すまない。その…平気か?』

片手でナマエの肩を、もう片方の手で彼女の頬にそっと触れ、労りの声を掛ける。
ナマエは山崎の目を見ないまま小さく笑って頷いた。
その目元にうっすらと赤みが差している。

『…』

一時荒くなった呼吸をすぐに整え、ナマエは最後に大きく息を吐き出すと、背けていた顔を真正面に戻し、山崎を上目遣いに見た。
山崎の心の臓がどくりと跳ねた。

ナマエは山崎の胸の辺りを掴んでいた手を離し、緩い動きで自身の肩へやると、自分を支えていた山崎の手を柔く剥がし、手を繋ぎ直した。

『…参りましょうか』

そうとだけ言い、ナマエは再び目的の方向へ進路を取った。
もしかしたら何かをされるのではないかとあらぬ期待をした山崎は肩透かしを食らった気分になり、何となくやるせなくなってしまった。

『あ、ああ…』

彼の肩が心持ち下がって見えるのは、決して気のせいではないだろう。



竹林を抜け、野原と化している平地を進むと小高い丘に出た。

『この先です』

ナマエが先を指差して短く言う。
その声は冷静さを装いながらも何処か弾んでいて、彼女が上機嫌である事が察せられる。
山崎は自然に口角が上がった。

緩やかな坂を手を繋いで登っていく。
天辺が近付くと、途端に日の光が近くなった様に感じられ、山崎は額に手を翳して目を細めた。

『烝さん、』

ナマエが繋がっている手を二度ほど揺すった。
ほら見て、と言うかの様なその仕草に誘われて、山崎は眩しくて細めた目をゆっくり開いた。

『…!』

あまりに美しく鮮やかな一面の黄色に山崎は言葉を失った。
これ程見事な菜の花畑は、今まで生きてきた中で一度も目にした事がなかった。

辺りは静かで、人の気配がないようだ。
あちこちで蝶が舞い遊び、遠くで雲雀が鳴くのが聞こえる。

『綺麗でしょう』

笑みを含んだ声がすぐ近くから聞こえた。
すっかり心を奪われた山崎は返事が出来なかった。

『これを、貴方にお見せしたかったのです。
貴方と共に、この風景を観たかった…』

優しい風が吹き、前髪を攫う。
山崎がナマエを見ると、彼女は幸せそうに微笑んでいた。

『…』

その笑顔が不思議と不安を掻き立て、山崎は思わずナマエの手を強く握った。
突然痛い程に手を握られたナマエは驚いて山崎を見返した。

口を引き結び、少し眉間に皺を寄せた山崎の表情に何かを見たのだろう。
ナマエは空いている方の手で、繋がっている山崎の手を何も言わずに静かに包んだ。

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