二十九

風間はナマエの顎を指先で捉えて、ずい、と顔を寄せた。
ナマエが瞠目してびくりと肩を震わせる。

『面白い…。まさか、この俺の方が求婚されるとはな』

『はあ!?』

ナマエは素頓狂な声を上げた。
里に連れて行けと言ったのは、あくまでも独りの生活をやめ、他の同類と共に生きていく意思を示したにすぎない。
風間は勿論真意を理解していたが、わざと今の様な事を言ったのだ。

あまりに定石通りな彼女の反応に、風間は、くく、と喉の奥で笑いを噛み殺した。

『些か問題は残るが、まあ及第点という所か。
貴様も漸く素直に物が言える様になってきたな』

良い傾向だ、と言って笑う風間を見て、それは盛大な勘違いだと否定したくなり、ナマエは喉元まで怒号が出掛かった。
が、ふとある感情が過ぎり、彼女はそれをぐっと飲み込んだ。

何かを考え、開いた口を一度閉じ、やや間を溜めてから息を吐いた。

『ああもう、良いわよそれで…。
嫁でも何でも、好きにしたら良いじゃない』

強がりなナマエの、精一杯の“風間を好いている”という感情の表現だった。
視線を斜め下方へ逸らして、口をへの字に結ぶ。

風間は瞬間目を見開き、すぐに柔らかい眼差しを作った。
顎を捉えた指でナマエの頬をそっと撫で、語り掛ける。

『安心しろ、一切の不自由はさせん。
お前は一生を俺の腕の中で過ごし、何に憂鬱する事なく、俺の事だけを考えていれば良い』

極めて上からの物言いであるが、その声色とその目使い全部が、ナマエを愛していると言っていた。
ナマエは注がれる紅の眼をじっと見つめ返し、ふ、と笑った。

少しずつ近付く距離に自然と瞼を閉じる。
すぐに慈しみに満ちた口付けが与えられた。

一度顔を離して互いの目を見つめる。
ナマエの目が小さく揺れている。
風間はその眼差しをしっかりと受け止めた。

もう一度、もう一度と、想いを確かめる様に唇を重ね合わせる。
彼等の心ははっきりと誤り無く結ばれたのだった。

空は何処までも晴れ渡り、白く鮮やかな雲が浮かんでいた。





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