二十八
どれくらいの間そうしていただろうか。
近くの木に止まっていた油蝉が鳴くのを止めたのを機に、ナマエはゆっくりと身体を離した。
俯いて伏せ目がちだった視線を上げて、強い目使いで風間を見る。
それから一度視線を外して、ナマエは窓の向こうを見た。
『…色々と騒がしいのね、京は』
その言葉はたくさんの人間の生活の様を意味していたが、真意はそこではなく、その中に孕む膨大な狂気や混沌とした殺意が渦巻く様を指していた。
清浄な気で満ちた山奥で過ごしていたナマエには、京の空気は酷く澱んで見えた。
『こんな所、とても住む気にならない』
風間はナマエをじっと見た。
そして表情を変えないままで言葉を紡ぐ彼女が何を言いたいのかを考えていた。
目に影を落とし、少し声を暗くしてナマエは続けた。
『でも、もう私の帰る家は無くなってしまったし…長く共に過ごした家族も、失してしまった』
言葉が持つ重みの割に声音は何処か一本調子で、情が感じられない。
ナマエは外した視線を、何も言わずに瞬きだけを繰り返す風間へと戻した。
『それは…貴方のせいだわ』
『…』
此処で初めて風間は目付きを若干鋭くさせた。
風間の後を付けてきた人間達がナマエの庵を見付けだし、この様な事になったのだから、確かに見方によっては風間のせいだとも言えよう。
だがそれは浅薄であると風間は思ったのだ。
更に言及する様であれば口を挟もうと考えたが、何故だかナマエはその先口を開こうとしない。
風間は様子を窺った。
『だから、その…』
ナマエは風間の目を睨む勢いで必死で見つめていた。
次の言葉は、真っ直ぐ伝えねばならないと思っていたからだ。
次の言葉を言うが為の今までの前置きだったのだが、いざ此処まで来ると急に喉が言う事を聞かなくなったかの様になった。
目の前の風間が訝しそうに自分を見ている。
ナマエは更に焦った。
(…もう、どうにでもなれだわ!)
そう思うと、彼女は軽く息を吸い込んで気合いを付けた。
『わ、私を…貴方の里へ連れて行って!』
言った後、ナマエの首から上が見る間に真っ赤に染まった。
独りが当たり前な彼女にとっては、他者に頼み事をするのでさえ緊張が走るのだ。
ナマエの胸が早鐘を打ち、彼女の身体を固くさせていた時、風間の顔に何とも言えない、にたり、とした笑みが浮かんだ。
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