十六
明かり取りから差し込む陽光が傾き始めた頃、風間は一度そちらに目を向けて何かを窺う素振りをみせた。
ナマエが茶の御代りを装うと腰を上げた時、風間もまた腰を上げた為、彼女は訝る目で彼を見た。
『何よ』
ナマエのぶっきらぼうな物言いなど気にもせず、風間は履物を置いてある所まですたすたと歩いていった。
『京へ戻る』
『…っ、』
その言葉が風間が帰るという意味だと理解し、不意にナマエは胸の真ん中が酷くざわつくのを感じた。
強い不安感を煽るその謎のざわつきを拭おうと、彼女は胸の辺りの衣を鷲掴んだ。
(…またいなくなる、)
風間が雪駄に片足を入れたのと、小股で近寄ったナマエが彼の袖を引いたのが同時であった。
く、と腕を後ろに引かれ、風間は無表情でナマエを振り返った。
『…』
視線が交わったナマエの目が戸惑いと切なさで揺れている。
恐らく無意識であろう。
こんな顔も出来るのか、中々可愛げがあるではないかと、風間は内心で呟いた。
『何だ。その物欲しそうな顔は』
しかし口に出して言ったのはやはり憎まれ言葉で、ナマエは一瞬呆けた顔になり、そしてすぐ顔を赤くした。
『物欲しそうな顔なんてしてないわよ!
おかしな事言わないで!』
『ふん。俺がいなくて寂しいのだろう?虚勢を張るな』
『〜〜〜っ!』
図星を指されて咄嗟の言葉が出て来ない。
とりあえず何か仕返しがしたく、ナマエは風間の背中を叩こうと手の平を振り上げた。
『やれやれ、夫に手をあげるなどとは。…雪女という者は皆こうなのか?』
降り下ろされた手を捉えて強く握り、風間は空いている方の手でナマエの顎を掴んだ。
力づくで上を向かされたナマエは、真っ赤な顔で風間を睨み付けた。
『…まだ、夫じゃないわ…!』
一言余計だった。
風間はその言葉を聞き、至極満足げに笑んだ。
彼が笑ったその顔を見て、ナマエは、しまった、と思った。
『あ、違っ…!間違え、』
『まだ、という事はいずれ妻になる自覚はあるという事だな。…これは良い傾向だ』
顎を掴んだ指がなまめかしく動き、ナマエの首をするすると滑っていく。
背中を電流が走っていった様な感覚がして、彼女は小さく肩を跳ね上げた。
風間は目を細めてその様子を見、そっと彼女から手を離した。
『安心しろ。直(じき)にまた顔を出しに来てやる。
それまで楽しみに待っているが良い』
『だっ、誰が楽しみに待つもんですか!』
ナマエの精一杯の強がりを背中で聞きながら、風間は庵を後にした。
彼の気配が小さく遠くなったのを感じると、彼女はその場にへたりこんでしまった。
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