『お前の頭の中は、幸を不幸と捉えるように出来てしまっている』

風間は妻の乱れた前髪を指先で優しく整えながらそう言った。

『謙虚といえば聞こえは良い。
だが、度を過ぎればただの短所だ』

その通りだ、とナマエは思った。
自分の“これ”は、決して人に誉められるものでも、誇れるものでもない。
風間は敢えて苦言を述べ、自分を戒めているのだ。
耳が痛い思いがする。

『…』

ナマエは何も言う事が出来なかった。
言葉が出て来ない。

妻の表情が陰ったのを認めながら、風間は尚も言葉を続ける。

『…縺(もつ)れ絡まった心を解くには、お前の身に深く刻まれた不幸の時間以上の時間を掛ける外あるまい』

語調が微かに変わった気がして、ナマエは伏せた目を風間へと上げた。
紅の眼はこちらをじっと見つめていた。
蔑むでも責め苛むでもなく、ただナマエの心の機微を逃さぬ様にとする、強い目遣いだった。

視線が結ばれて暫しの後、風間の口角がやや持ち上がった。

『喜ぶがいい。この俺が、十や二十ではきかない年月を掛けてお前を愛してやるぞ』

『…!』

ナマエは目を丸くした。
この方は、本当に…。

こういう言い方をして、“自分がしたいからその様にする”という形を作るのだ。
ともすると横暴とも思われかねない言動をして、他者を思いやっている事を秘するのだ。

最初は何故わざわざその様な態度をとるのかが解らなかったが、長く共にいるうちに、それが彼の照れ隠しでもあり、心遣いでもある事を知った。

ナマエが風間の気遣いに対して更に気を遣わない様にとしている事に気付いた時は、酷く胸が温かくなった。
それは今も変わらない。
ナマエは今も、夫を恋慕う気持ちを持っている。

『有り難き幸せです』

万感の思いを込めてただ一言、こう答える。
風間は、ふん、と小さく笑うと妻の頭を抱き寄せて、満足そうに目を細めた。

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