九
月日が過ぎる。
だが、ナマエが隠した真の思いはどれだけ時が経っても消えて無くなってはくれなかった。
寧ろ、前より増したと言って良い。
まず要因の一つに千鶴の存在があった。
軟禁を解かれ、限定された範囲内で屯所の一人歩きが許される様になり、同時に監察方へも、千鶴の性別と共に正式に紹介された。
山崎と島田は何故今までナマエにだけ接触を許可されていたのか合点がいき、これからは三人で警護・観察していく事を誓った。
千鶴は父の影響で、少しではあるが蘭学に明るい。
それを知った山崎は東洋医学を齧る者として、彼女の持つ己と異なる医学知識に興味を示した。
暇を見つけては千鶴のもとを訪れ、薬や治療に関してそれぞれの医術の理非を語り合った。
ナマエはそれを決して良く思っていなかった。
生き生きとした顔で千鶴の居場所を尋ねる山崎の顔を見るのがとても辛く、ナマエはまっすぐ彼の顔を見る事が出来なくなった。
時に人気のほぼ無い薬品庫兼処置室に二人きりで籠る事があるのだが、そうしているのを知る度にナマエの胸を謎の痛みが苛んだ。
あの二人の間に何も起こりはしない、あの二人に限って決してその様な事、とは思っても、思うそばから猜疑心が頭をもたげ、じわじわと心を蝕むのだった。
千鶴の事は愛しく思うし、自分が大好きと思う者同士が仲良くしてくれる事は嬉しい事のはず。
しかしどうしても嬉しいと思えない自分が居り、ナマエの頭は混乱を来していた。
もう一つは、山崎が朝帰りをする様になったという事だ。
朝帰りなら前にも何度かあったが、その時は必ず明らかな理由があった。
だが今回は違う。
相変わらず彼は任務の詳細を話そうとせず、ナマエも無理に聞き出そうとはしなかった。
島田に対し、前に一度だけ山崎が何をしているか気にならないか、と尋ねてみたが、彼は山崎を深く信頼しており、柔らかく笑いながら、彼にだけ与えられた務めですから、と暗に否定する答えを貰ってしまった。
気になって仕方が無いナマエは、山崎を信頼していないという事になるのかと、此処でもナマエは大いに悩んだ。
あれ程女と酒の匂いをさせているというのに、どうやら周りは誰も気付いていないらしい。
男というのは女に比べて嗅覚が鈍いのかと、そんな事を思いもした。
山崎が夜の務めから戻って最初に顔を合わすのはいつも朝なのだが、ナマエは必ずいつもの笑顔の能面をもって彼に“おかえりなさい”を言った。
すると山崎はいつも一瞬苦い様な顔をして、おはよう、とか、ただいま、などと応じた。
想いが通じ合って距離が近くなったはずなのに、今は誰よりも遠い存在の様に感じられてならなかった。
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