二
山崎が酒を軽く含んでから暫く黙り込んだのを見て、鈴代達は上手に彼を持ち上げながら勝手にお喋りをし始めた。
途切れる事なく喋りに喋るその様子はさながら椋鳥や烏の囀(さえず)りの様である。
彼女等は彼女等の経験に基づいて山崎という人物を判断し、どの様に扱うのが吉か、という事を解っている様に思われた。
腐っても鯛、とは言い過ぎかもしれないが、観察眼に長け、客を良い気分させるのが上手い彼女等はやはり百戦錬磨の芸妓であった。
自分を間に挟んで楽しげに会話をするその言葉に耳を傾けながら、山崎は密かに彼女等を観察し続けた。
たまに相槌を兼ねて微笑んでやると、三人は、惚れそうやわ、と、本気とも冗談ともつかない黄色い声を上げた。
仮に嘘だとしても喜ばれると悪い気はしないので不思議である。
酒を入れ、膳に箸を付ける。
幾らか打ち解け、少し場の空気が寛ぎのあるものに変わってきたかという時になり、鈴代が己の名の由来を聞かせてくれた。
鈴代は農家の生まれ。
兄弟が非常に多く、口減らしの為に七つの時に此処へ連れて来られたのだと言う。
農民の割に色白であった彼女を見て、女将が蕪か大根の様だと思い、“すずな”か“すずしろ”の名前をやるから選べと言われたらしい。
『ひどいおかあさんやろ?』
人の事を何だと思っているのか、と言って笑う鈴代に、山崎はこう尋ねずにはいられなかった。
『いいのか?出自を明かすなど。
誰かに知れたら…仕置をされるのではないか?』
花街で生きる者は此処で生まれて此処で育った、と言うきまりになっている。
故郷の言葉を使ったり話したりする事は固く禁じられている。
『そんなん、ちっとも構しまへん』
山崎の心配を余所に、あっけらかんとして鈴代が応えた。
『山崎はんが誰にも言わなええ事どす』
『それはまあ、確かにそうだが』
にっこり笑って至極当然の様に言うものだから、そういうものかと思い、相手の空気にすっかり呑まれる。
この瞬間、山崎は任務の事を忘れてしまっていた。
『それに…何でか、山崎はんには聞いて欲しい思いましたんえ』
ふと務めの事が頭を過ぎり、自分が成すべき事を意識し直す。
自分の事を知って欲しいというその言葉に、何か裏の意味があるのだろうかと考えて鈴代の目を見つめる。
だが彼女の目からは真意は読み取れなかった。
言葉の端を握られた位で心の内を容易く悟られる様ではこの仕事は務まらないのだろう。
山崎と鈴代では踏んでいる“心理戦”の場数が圧倒的に違い過ぎる。
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