七
『お前さ、』
何だろうかとナマエが不知火を見上げると、こちらを見返した彼が一瞬瞠目して固まった。
そして外方を向いて咳払いをしたのだが、その横顔には少し照れがあった。
ナマエが不意に見せたきょとんとした表情が大変可愛らしく、油断していた不知火は柄にも無く照れてしまったのだ。
『どうかしましたか?』
挙動のおかしさが気になり、ナマエが顔色を伺う。
不知火は人差し指で頬を掻き、首を横に振った。
『あー、いや、何でもねえ。
…いやいや、何でもねえ事はねえんだ』
『?』
発言までが何だかおかしい。
ナマエは首を傾げた。
仕切り直し、と言わんばかりに不知火は息を大きく吸い込み、それを吐き出しながら、あのな、と話し始めた。
『お前もうすぐ風間の嫁になるっつーのに、あいつの事まだ名字で呼んでんだろ?
そろそろ下の名前で呼んでやってもいいんじゃねえの、って感じたんだよ』
『…っ』
それはかねがねナマエも悩んでいた事だった。
風間の方は出会った時からナマエを下の名で呼んでいた。
だから付き合うという名の婚約を結んだ時だって、それが変わる事は無かった。
ナマエはタイミングを逃してしまったのだ。
向こうから呼び名について特に言われた事もないが、果たしてこのままで良いものだろうか、とは常々考えていた。
『やっぱり、そうした方が良いでしょうか?』
『まあ、普通に考えたらな。
旦那に向かって名字で呼ぶ嫁なんて聞いた事ねえもん』
至極当然、というような切り返しにナマエは顔を伏せて深く悩んだ。
名前で呼びたい気持ちは山々なのだが、やはり問題はタイミングだ。
いきなり呼んだらきっと驚かれるだろうし、かと言って許可を取るのも今更な気がする。
うーんうーん、と唸りながら顔を上げなくなったナマエの頭を、不知火が大笑いしながらわしわしと撫でた。
『こういうのは後回しにするとどんどんやりにくくなるもんだからよ、生徒会室入って風間の顔見た瞬間に、思い切って言っちまえ』
『でも…!』
乱れた髪を直しながら抗議の目を向けると、彼は楽しげに笑っている。
『でももへったくれもねえよ。
よし決まりだ!
…もし出来なかったら、』
一瞬の隙をつく様に、不知火はナマエの手から手提げ袋を奪った。
『今日のナマエの弁当、俺が貰うからな』
『そんな!』
昼食抜きで午後の授業を乗り切るのは正直辛い。
口笛を吹きながら先に歩き出した不知火の背を見つめて、これもいい機会かもしれないと、ナマエは腹の中で一つ覚悟を決めたのだった。
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