七
あやめの黒の髪と褐色の瞳はナマエに千鶴を思わせた。
彼女が見せる溌剌とした表情はいつもナマエを和ませた。
和泉は時として年の離れた姉の様に感じられ、ナマエは彼女らといると家族が増えた様な思いがした。
この感覚は天霧の側にいる時と似ていた。
『先日、長老様のお一人が奥方様をお褒めでいらっしゃいました』
口に入れたおこしを飲み下し、あやめは輝く眼差しをこちらに向けて言った。
お名前は確か…といって考え込んだ彼女から出た名は、ナマエに風間家の歴史を教授した者だった。
『自ら進んで学び得ようとし、そして必ず礼を欠かさないという姿勢が好ましい、と仰せでした』
そう、と言ってナマエは面映ゆそうに笑った。
あれからずっと、ナマエは自らの信条に則り、自分に何かしてくれた相手に対して、分け隔てなく謝辞を述べていた。
始めの内はやはり皆驚いたり畏まったりと様々な反応を見せていたが、相手によって態度を変えたりなどせず、誰に対しても笑顔を添えて、有り難う、を言う事を続ける内、相手からも笑顔が返って来る様になってきていた。
鬼は高い理性によって動き、情による繋がりは薄いとされるが、長く人の世に触れながら生きて来たナマエには、それは寂しい事だと思われた。
皆、情がない訳ではない。
集団で暮らすのに邪魔なものと考え、押し殺しているだけなのだ。
『確かに奥方様がお嫁にいらしてから、屋敷内の雰囲気が変わりましたね。
何処となく柔らかくなった、と申しましょうか』
和泉も同調する。
ナマエは頬を朱に染めて湯呑みの茶を一啜りした。
『変わったと言えば風間様です!
以前は近寄り難く、何処か恐ろしさすら感じさせる雰囲気でいらっしゃいましたが、今ではそれらを全く感じません』
すっかり高揚した娘を、無礼であるとして和泉が諌めた。
御無礼仕りました、とあやめが慌てて頭を下げたので、ナマエは淡く笑って首を横に振った。
『…屋敷内の空気が変わったのも風間様がお変わりになられたのも、ナマエ様のお陰でございましょう。
風間様があの様に優しい表情をなさる所など、皆見た事がございませんでしたから』
ナマエは目を丸くして、そのように言う和泉を見た。
彼女はにこやかな笑みをこちらに向けていた。
自分が、千景様を変えた。
変わったのは自分だけだとばかり思っていた。
ナマエは万感の思いを込めて、そうでしたか、と言った。
『左様にございますよ。
現に、奥方様は毎晩の様に風間様から御寵愛を受けておいでではありませんか!
東では如何様であったか存じませぬが、西では色事をあまり致しませぬ故、毎晩というのはそれだけ、』
『あやめ!口が過ぎますよ!』
和泉が声を荒げて娘の言葉を遮るその隣で、ナマエは耳まで赤くして固まっていた。
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