変になっていく心 06 | ナノ




 ファウスト邸の一室、派手な色で飾られた内装、目に良いとは言えない配色の中にメフィストは埋もれていた。床や棚には人形や玩具、用途不明な置物。お菓子にゲーム盤、まるで子供部屋の様な有様、だがそこに置かれている家具らは高級感のあるアンティーク家具で、その一つである長椅子に腰を下ろしていた。
 部屋の有様からも分かるようメフィストは遊びが大好きだ。その遊びが楽しければ種類、ルール、形式等はまるで気にならない。相手の動きを読み、その一歩先へ先へと駒を進めていく。物質界の全てはメフィストの玩具箱、だがしかし今回ばかりはそうただ楽しんでいられる状況ではなくなった、そう痛感していた。
ギシリ、と背凭れに背を預けて瞼を閉じる。その中で思い出すのはあの時の夜の事だった、水で濡れた蒼い瞳、肉付きの少ない汗の滲む肢体。嫌だと目線で訴えるのを無視してメフィストのいい様にただ欲に任せてまだ幼い身体を貪った。紳士としてあるべき姿ではなかっただろう。

「振り廻されている、な」

 そう、振り廻されていた。燐が口にしたのは幼い嫉妬で疑惑。なんて事はない、メフィストであれば優しい言葉を吐いて慰めるでも他の言葉で誤魔化す事さえも出来ただろう。けれどしなかった、正確には出来なかった。じりじりと胸を焦がす嫉妬が、自分の思いを理解していない焦燥感が、その程度で会いに来なくなるのかという危機感が。ぐるぐると渦巻いて、ただ悪魔である自身の本能が食い尽くせと囁いてそれを迷わずに実行した。

「ふう、……」

 らしくない、悪魔が恋をするというのはこれ程までに厄介なのかとメフィストは自分自身の気持ちに辟易とした。下の弟のように若い悪魔なら力の侭奪って閉じ込めるという選択もあるだろう、しかしメフィストは若くはない事も自分が更に貪欲だという事も理解していた。心も身体も欲しいのだ、と強く感じたのだ。あの時から抱いた感情がまさかここまで育つなんて、予想出来なかった。




♀♂





 突き刺さるまだ陽射しがまだ眩しい時刻、寮の旧館の屋上、その中でも一段高い位置で燐は寝転がっていた。この場所が気に入ってるのだろう、自らの腕を枕にして瞳を閉じたそこに細長い影が掛かる。

「Guten tag(こんにちは)☆奥村くん」

「お前も最近よく来るな」

 ゆっくり瞼を持ち上げメフィストをその蒼い瞳に映した途端眉を顰める燐、これでもマシになった方だとメフィストは知っている。ここで初めて声を掛けた時には露骨に嫌そうに顔を歪めて犬猫を追い払うようにしっしっと掌で前後に揺らした。
思う事を隠す事を知らないそれ、素直な気性といえば響きはいいが世に出れば損をするだけの性格。それを気に入った、というのもあるが嫌がられるのなら逆にしたくなるというメフィストの性格もあった為に頻繁にここへ足を運んでいた。よっと短い掛け声と共に燐は上半身だけを起こす。

「んだよ、いい加減小遣い増やしてくれる気になったのか?」

「ああ、実は最近は五百円札を」
「いや、もういい黙れ、何も言うな」

「それは残念です」

 大袈裟に肩を竦めて緩々と顔を左右に揺らす、どうやらこの話は燐の不機嫌を誘うらしい。仕方なく燐の言葉を借りるなら悪趣味なピンク色の傘の先でコンクリートの床をコンコンとノックしながら次なる話題に頭を捻る。その時、ふっとメフィストは青空を仰ぐ。

「…貴方はご存知ですか?ある人物は、愛していますを月が綺麗ですね。と訳したそうですよ」

「へ?…知らねーし。つーか、何で愛してるが月が綺麗になんだよ、月なのに愛?いや綺麗だから…愛…」

 ぶつぶつと呟きながら黒色の髪を跳ねさせガリガリと無造作に頭を掻く、この学のない末の弟はそれが前の千円札に印刷されていた人物と理解していないだろう。今持ち合わせの中にはその古い千円札もあるのだが、その話をすると途端に不機嫌になる燐の為にも見せないでおこう、とメフィストは決めた。
燐は少しの間空を仰ぐ、残念ながら雲の多い青空では月を見付けるのは難しい。

「では奥村くんなら、どう表現されますか?」

「え、うえっ、俺なら?」

 何故、こんな質問をしているのかメフィスト自身不思議だった。しかもその内容が愛など、悪魔の自分自身を思えば滑稽過ぎて笑いが込み上げそうな程だった。けれど、この次に燐がどういう言葉を描くか興味がはあった。燐は腕を組み、うーあーと唸りながら首を捻る。適当に返せばいいというのに、今にも頭に煙が出るのではと思う程に頭を悩ませている。
そして、次の瞬間にポツリと呟いた。

「変な心」

「…は?」

「だから、変な心になっていくなっていう」

 メフィストは瞳を見開いて固まる、愛の告白を変な心と目の前で言い切った胡座をかく少年。その放たれた言葉には雰囲気も難しい言葉も何もない、甘いムードが漂う中で変な心になるなんて言えば捉え方悪ければぶち壊しとなるだろう。ぷっ、と唇から呼吸が漏れる。

「ぷ、っフハハハハ!変な心、…クク、ハハハ!」

「オイ笑うなっ、お前が聞いたんじゃねえか!」

 勢いを付けて燐が立ち上がると牙を剥き出す犬の様に怒りを露にして睨み付ける。それでもメフィストは止まる事はなく肩を震わせて笑い声が辺りに響かせる。変になる、単純ではあるが間違いではないだろう。確かに近頃メフィストは自分自身が可笑しい事に自覚はあった、どうも燐に構いすぎているのだ。
出来るならもう少し距離を置いて傍観者の位置に立つべきだ、だというのに暇があればこうしてここに足を運んでしまっている。もしかしてこれが長年解らなかった感情の答えなのかもしれない。ゆっくりと呼吸を整えて、じっと間近の青い瞳を覗き込む。

「な、何だよ」

 自分でも羞恥を感じたのか頬は仄かに頬は赤みが差している、目付きは少し鋭く、その蒼い瞳の中にメフィストを見るとどうしようもなく胸が苦しくなった。ああ、これは不味いな、そう思いながら制御出来ない何かに四肢の支配権を奪われた。メフィストにいつものようにふざけた笑みはなく、すっと右腕が伸びて燐の頬を掌で包む。びくっと燐の肩が跳ねて瞳だけが逃げるように右下へ逸らす。段々と赤みが増していく頬、ふわりと風が二人の間を通る、そして次の瞬間にメフィストから唇が近付き、重ねた。

「何で、お前…」

「さあ、どうしてでしょうね」





♂♀





 ふと、気付けば部屋に鳴り響く携帯音。記憶の底を迷い過ぎたのか、暫く鳴っていただろうそれにまるで気付かなかった事にメフィストは自嘲を浮かべる。特注のカラーの携帯、その液晶画面に浮かぶ文字に眉がぴくりと跳ねた。

『奥村雪男』

 雪男自身は全く悪くは無いとメフィストも理解しているのだが、今この状況で好んで相手したいとは思えないのは仕方がない。それでも無視する事など出来るはずもなく慣れた手付きで画面をスライドさせ、通話ボタンを押した。

「もしもし。はい、どうかされましたか、奥村先生」

 生真面目そうな声が鼓膜へ届く、けれど次の瞬間メフィストの世界は一転する事になる。

「……奥村くんが、倒れた?」





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