「……マコト?」


 彼女の不思議げな問いかけを聞いて、俺は初めて立ち止まっていたことに気づいた。下から俺の顔を覗き込む、あざとささえ伺える姿に、思わず抱きしめたい衝動に駆られながらも思い留まる。彼女にとって、俺はただの幼なじみで、ひとつ上の兄のような存在でしかないのだから。


「ぼーっとしてたみたいだから。大丈夫?」

「いつものお前よりはぼーっとしてないよ」

「ひどい!心配してあげたのに」


 ふくれる彼女の頭を慣れた手つきで撫でると、子供扱いしないで!とまたふくれる。妹のように思っていた彼女を、恋愛感情で見るようになったのはいつからだろう。


「お前はぼーっとなんてしてられないもんな。受験、頑張れよ」

「うん。マコトと同じ大学だから、頑張らなきゃ」

「お前、いつまでも俺離れできないのな」


 嘘だ。俺が彼女離れできないだけだ。俺はいつまでも、幼なじみという立場を利用して、彼女の傍にいようとしている。

 彼女は俺の横を歩きながら、しばらく黙っていた。つかずはなれずの距離を保ちつつ、お互い黙って彼女の家を目指す。

 彼女の家が見えてきた頃、彼女は突然、うつむきがちだった顔を上げた。それは何かを決意したような表情で、同時に、彼女が俺に背中を向けてしまったような気もした。先ほどまで手を引いていた幼い少女が、俺の知らないうちに、俺の手を放して俺より先に行ってしまったような、置き去りにされてしまった感覚。

 彼女は固く結んでいた唇を、やっと開いた。


「……マコト、私、頑張るから。絶対マコトと同じ大学に受かるから、応援してて」

「応援なんて、当たり前だろ?困ったことがあったらいつでも俺を頼っていいから。……レイでもいいけど」


 もうひとりの幼なじみの名前を出すと、彼女は微かに笑った。頼るのはアイツでもいいけれど、アイツは俺の二つ下、彼女から見るとひとつ下だ。俺は弟のように思っているし、彼女もまたそうだろう。いい奴だけれど、少し頼りないかもしれない。固かった彼女の表情が、俺の軽口で少し綻んだ。


「ふふっ、そうだね。困ったらマコトかレイを頼るね。でも、ずっと家にこもって勉強しっぱなしなんだし、そんな困るようなことあるかな」

「勉強でわからないところとかさ。俺は合格したし、レイだって少なくとも今のお前よりは成績いいよ?」

「う……」


 口ごもり、ついさっきまで凛々しい表情を浮かべていた彼女は再びふくれた。


「……じゃあ、送ってくれてありがとう。またね」

「あ、ああ……じゃあな」


 彼女の細い肩に伸ばしかけた手は、空振りに終わった。行く先をなくした手をそのまま振って、彼女を見送る。扉を閉め、彼女の背中が見えなくなり、そこでやっと俺は知らずこわばっていた身体の緊張をほぐした。


「……あー……どうすりゃいいんだよ、こんなの」


 暗く街灯に照らされた夜道で、俺は独り空を仰ぐ。彼女は俺を幼なじみで、兄のように思っている。俺は彼女の事が――ひとりの女の子として、想っている。この溝は深かった。

 ついさっき、傍らにあった彼女の顔。その面立ちは、間近で見ると俺が考えている以上に美しく成長していた。毎日のように顔を合わせているはずなのに、ふとしたことで意識させられてしまう。


「しばらく……会わない方が、いいかな」


 彼女にこの想いを伝える勇気はない。俺は、彼女の兄というポジションでそれなりに満足しているから。もしこの想いを伝えて、そのポジションまで失くしてしまったら、俺はまともでいられる自信がない。

 俺は臆病者だ。わかっている。けれど、彼女との穏やかな関係を壊すリスクを冒してまで、俺は彼女に恋人になってほしいわけじゃない。彼女にとって俺がどんな存在であれ、俺は、彼女の傍にいられれば、それで充分なんだ。充分だと、自分に言い聞かせる。頼られる兄であれれば、充分だ。

 それから、三か月の間。俺と彼女は、顔を合わせることはおろか、すれ違うことさえ、なかった。


End.


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