「今日、友達と一緒に遊んでくるんだ」
墓石の前で、彼女はそう言って笑っていた。
「……去年から、ずっと行ってなかったの。じゅんくんのせいだよ」
そりゃ悪い。そう言いたいけれど、肉体を失った僕には声帯という器官もなくて、空気を震わせる道具も何も持ち合わせていないのだった。
「ホテル前で、コンビニに寄ろうとしてはねられるなんて、ほんと運悪いんだから、じゅんくんは」
そうなんだよなあ、僕、何でかいっつもツイてなくて。みきちゃんにも散々迷惑かけたなあ。
「去年の今日だって、乗ろうとしたアトラクション全部一時間近く待ってさ。私達が並んでない時は十分待ちとかなのに、何でか私達が並ぼうとすると人が集まってきて。才能だよ、迷惑以外の何物でもないけど」
そればかりは僕のせいだけじゃないと思うんですけどね。
「……今日も、バレンタインデーだよ」
――でも、じゅんくんは甘い物苦手だったものね。
そう言った彼女の微笑みは、白い朝日に照らされているせいか、ひどく疲れているように見えた。
彼女は時間が余ると僕の所に来る。だから、いつも僕は自分の墓に腰掛けて待っている。死んでからというものの、僕は自分の存在の手軽さに感動していた。電車にただ乗りできるし、壁を通り抜けてショートカットできるし。これなら女性のスカートの中を覗くことも、女風呂を覗くこともできる気がした。けれど、残念ながら僕のように実体を失った女性達が目を輝かせていて、子孫達の周囲を固めている。僕達男性の卑猥な妄想の実現を見事に遮っているので、未だに覗いてみたことはない。こういう存在になってはじめて、生者って死者に守られているんだなあって思うようになった。
そんな僕だけれど、滅多に墓の傍を離れることはない。彼女が来てくれるからということもあるが、万一に彼女に僕の姿が映見えてしまったら可哀想だからだ。彼女はああ見えてオカルトの類は大の苦手だったから。
けれど、たまに、本当にまれに、彼女の様子を見に行くことがある。
だから、知っている。
「時間、まずいなあ」
純也の墓参りを終えて、私はすぐに待ち合わせ場所へ向かった。急げばぎりぎり間に合う。大丈夫、大丈夫……たぶん。
「あ、来た来た。美紀子ー!」
遠くから知り合いの高い綺麗な声が聞こえてくる。名前をそんな大きな声で呼ばないで欲しいものだけれど。ちょっと熱くなる顔を風で冷やしながら、私は急ぎ足で待ち合わせ場所である公園に急ぐ。視界には彼女達の姿が見えていて、真矢が大きく腕を振っていた。
「やっと来た! 遅いよーもう。美紀子が最後だよ」
「ごめんごめん、ちょっと、ね。……えっと」
ちらりと見上げれば、見慣れない男性が三人、私に微笑んでくれている。真矢の知り合いだという。何だか合コンみたいだなあ、と私は全員を見回した。女性三人、男性三人。うん、完全に合コンだ。
「真矢、えっと、こちらは?」
「ああ、紹介するの忘れてた。あたしの彼氏の卓実と、卓実の友達の誠司さんと葉月さん」
どうも、と頭を下げながら名前を確認する。ああ、本当に合コンみたい。
――じゅんくんが知ったら、どんな顔するだろう。
不機嫌そうな彼の顔を想像して、私はくすりと笑ってしまった。純也は、何だかんだ言って私を拘束しない。口では何だかんだ言うけれど、結局は私の意志を尊重してくれた。
そんなところも、好きだった。――今でも、好きだ。
「もう時間だから、行こうか」
七海ちゃんが緊張した声で言う。そうだね、と七海ちゃんの声を打ち消すほどの豪快な声で真矢が頷く。真矢は活動的だ。対して七海ちゃんは大人しい。二人が友達だというのは、何だか不思議なものを見ている気分になる。
「あ、みんなにちゃんとバレンタインのお菓子持ってきたんだからね! あとで交換しよ!」
「交換なのかよ……オレ達も?」
「いや、卓実達はいいや。一ヶ月後に三倍返ししてもらうから」
「三倍……三人分掛ける三……うっ、僕、ちょっとお腹が」
「葉月さんの演技下手、本当なんだね……卓実、疑っててごめん」
「だろ? こんなにひっどいもん滅多に見れないからな、美紀子ちゃんも七海ちゃんもしっかり見とけ」
「やかましいわタク!」
賑やかな笑い声に包まれながら、私達は公園を後にする。私はあえて振り返らなかった。
振り返った先に、今も公園で待っている純也の姿があるような気がしたから。
伸ばした先に触れていたはずの彼女の髪は、するりと僕の手を抜けていった。そのまま彼女は友人達と共に公園を去って行く。歩みに従って左右に揺れる髪は、朝日を移して輝いていた。ずっと触れていたいような、そんな輝き。けれど感触すらわからない僕の手は、彼女を引き留めようとしているかのように中途半端に伸ばされたまま、宙にとどまった。
遠ざかっていく彼女の背中、髪。
――知っている。
僕は死者で。
彼女は生者で。
僕は、もう、彼女の隣で彼氏を名乗ることができないことを。
彼女の鞄の中に潜んでいるプレゼントの一つさえも受け取れないことを。
どう頑張っても生者には敵わないことを。
――彼女が僕以外の人を好きになることを止めることができないことを。
そして。
朝日が僕を照らし出す。目を閉じれば、光の残像のように曖昧な輪郭をした白く輝く君の姿が、瞼の裏に映り込んだ。
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