潮騒
14:00-

 海の家のかたわらで一人佇む。簡易な建物は水着姿の人々で混雑していて、壁の時計を見れば、針は午後二時を指していた。ここに来てまだ一時間か。長いな、と呟き、薫はそっと目を閉じる。太陽が高い。日差しが暑い。眼鏡はパンダ焼けが嫌だからコンタクトレンズにした。そのせいで目が痛い。最悪だ、と思う薫の耳には、遠くからの海の音が聞こえている。
 海の音は特殊だ。大量の水と水とがぶつかり合って弾け飛ぶ音。それは爽やかというよりは荒々しい。だが怒り狂った教師がチョークを床に叩き付けるのとは質の違う荒々しさだ。硬質な物同士が衝突する音とは違う。掴みようがないはずの液体が、まるで固体のように、硬く重く、同じ質の物とぶつかる音。そう、例えるなら人の悲鳴に似ている。実物として存在していないはずなのに、発されたそれは強靱な針のように耳を通って脳に入り込み、脳髄を細やかに震わせる。掴むことすらできないか弱さを思わせながら、その実、したたかにぶつかり合って相手を破壊しようとする。
 潮騒。潮のざわめき。潮の悲鳴。体の奥底にまで響いてきて心の静寂を奪っていく、不快な音の連続。

「薫」

 ざわめきの向こうから声が聞こえてくる。聞き慣れたそれは、潮騒とは全く異なる質のものだった。穏やかで快活、破壊などという単語とは正反対の場所に位置する声。目を開けば、入ってきた太陽の眩しさの中で彰人が走っている。

「買ってきた!」

 嬉しそうに笑みながら彰人が持ってきたものを見て、薫は顔をしかめた。

「……何で」
「うん?」
「なんでかき氷なのさ。海の近くなのに」
「海の近くだからだろ」

 うきうきとそばに来、両手に抱えた二つの紙コップを輝く目で眺めている。コップからはみ出さんばかりに山盛りになった白い氷の屑には、片方はストロベリー、もう片方はレモンのシロップがかかっている。

「やっぱ暑い季節には冷たいものだな!」
「……水着一枚で海風に当たりながらそんなものを食べたら、お腹を下すだろうに」
「ん、うまーっ!」

 早速二つのかき氷を片腕に抱えつつスプーンを口に運んだ同級生に、薫はため息を一つつく。学校でも一人でいることが多い薫に、彰人はしょっちゅう世話を焼いてくる。兄弟がいないらしいから、薫を弟とでも思っているのだろうか。そのわりに行動が子供じみている同級生に、迷惑だな、と素直に思いながら、目を眼前に広く広がる青へと向けた。
 夏休みはやはり今年も訪れた。潮風に当たっていることと湿度の高い気候もあって、肌はざらりとした湿り気に覆われている。目に見えない薄い塩の肌を全身に纏っているかのような不快感。それを剥がそうにも、触れられないからできない、そんないらだたしさ。知らずもう一度ため息をつく。

「……帰って良い?」
「嫌」
「即答かよ」
「頭いでで……良いじゃんかよ長い夏休みのうちの一日くらい。付き合えって」

 かき氷に頭を痛めながら彰人が言う。その言葉にも薫はため息を返した。

「さっきからそればっかりじゃないか。こっちは忙しいんだ、課題もあるし、勉強もある」
「課題と勉強は同じじゃないのね……」
「課題は最小限やらなきゃいけないものでしかない」
「う、さすが県一の秀才。課題を最終日まで溜めて徹夜で片付ける組の俺には理解ができませぬわ……」
「それだから点数が上がらないんだ」
「そうぐっさぐっさ突っついてこなくても良いでしょーカオルチャンったらぁーもうっ」
「ちなみに睡眠不足はパフォーマンスの低下に繋がる。休み明けのテストの点数、普段も対して良くないのに、さらに下がるんじゃないか」
「痛い痛い、頭と胸が痛いいたたたた」
「これ以上下がったら塾通いになるって前言ってなかったか? 俺の自由時間がどうたらとか泣き真似していたじゃないか。やっぱりあれは嘘泣きか」
「泣き真似って断言してる時点で既にまるっとお見通しじゃないですか薫様」
「ちなみに今回は課題を見せるつもりないから」
「ごめんなさい許してくださいそれだけは勘弁してください」

 挙げ句頭を深々と下げ始めた。さすがに外ではその行動は目立つ。水着姿の人々の視線が集まり始めるなか、薫は慌てて彰人の上体を起こした。

「やめろって、目立つだろ」
「じゃあ課題見せて、ねっ?」
「何でそうなる」
「うっし決定! アキチャンの平穏な夏休み決定! いやっふう遊びまくれるぜい!」

 妙にテンションが高い。さっきまでの土下座しかけない様子が嘘だったかのように、彰人は紙コップを両手にぴょんぴょんと飛び跳ねている。これもこれで目立つので早急に止めさせないと。
 そう思った矢先、ふと彰人が動きを止めた。ようやく自分の行動の奇異さがわかったのだろうか、そう思った薫に、くるりと顔を向け、彰人は笑う。

「一つ、教えてやろうか、薫」

 嬉しそうな顔で、彰人は言う。嫌な予感しかしなかった。

「断る」
「いやそこ断らないで」
「断る」
「お願いだから聞いて!」
「じゃあ僕に選択肢を与えるなよ」

 言ってから、しまった、と思った。案の定彰人はにいやりと笑っている。

「じゃあ選択肢なしな。きっちり聞けよ」
「……話の内容による」
「選択肢はなしだって言っただろ? 夏だからな、怪談話だ」

 かいだん、と聞いて頭の中に思い浮かんだのは学校の中の階段だったのだが、さすがに違うだろうとすぐに打ち消した。

「えっと、怪談?」
「そ。たまには良いだろ? いっつもお勉強してる薫が、珍しく外出してて、しかもその行き先が海! 信じられないくらい青春! あ、夏だからセイナツ? まあいいや、ここまで来たら存分に夏休み気分を楽しまないとな!」

 そう言って、彰人は海へと目をやる。多くの人々が楽しそうに波と戯れている様子が見えた。今は太陽が一番高い時間だ。海岸は暑い砂で覆われている。対して海洋は比熱が大きいため、完全に暖まってはいない。未だに冷たい水は、夏のじめじめした暑さに嫌気が差した人々にはちょうど良い温度になっているのだろう。

「薫」

 向こうを向いたままの彰人の表情は見えない。だが、その顔に笑みではないものが表れていることは容易に想像できた。いつも笑っている彼が時折する表情だ。薫を眩しそうに、しかし悲しそうに見るあの眼差し。
 だがなぜだろう、今日のはそれとも少し違う気がするのだ。

「お盆の海に子供は近付いちゃいけないって話、聞いたことあるか?」
「……いや」
「お盆にはな、あの世の人達が帰ってくるんだ。大人も、子供も。……お盆の海では、海で死んだ子供が寂しくて同年代の子供を誘ってるんだってさ」
「へえ」
「興味なさげだな」

 ようやく肩を揺らして笑って、彰人は言った。

「だから、子供のうちは行けないけど、大人になってからお盆の海に行きたいなって思ってる」
「幽霊に会いに?」

 ふざけた彰人に付き合うつもりでもないが、自然とそう訊いていた。薫の問いに、彰人は、一瞬置いて頷く。

「会いたい奴がいてさ」

14:28-

 日差しが暑い。額に浮かんだ汗を拭っても、またすぐににじんでくる。海の家が近くにあるというのに、薫と彰人はその建物の影にも行かず、日差しの中に佇んでいた。奇妙に見えているに違いない。男子高校生が二人、しかも一方は明らかに不機嫌そうに眉をひそめていて、もう一方は神妙な顔で二つのかき氷を抱えていて。ちらり、ちらり、と視線を感じる。

「移動しよう」

 言い出したと同時に汗が顎の下を伝って落ちていく。知らない人の指がそっと顎を撫でていくような不快さだった。強引に拭って、薫は彰人を睨む。

「移動しよう。ここは暑い」

 かき氷も溶けているし。そう言おうとして薫は口を噤んだ。
 二つのかき氷。レモン味の方は彰人が食べている。もう一方のストロベリー味は手が付けられていなかった。食べる気配もない。薫にやるつもりならとっくの昔に押しつけてきているはずだろう。彰人の性格上、褒めて欲しがる子供のように、買ってきて早々に強引にでも食べさせようとしてくる気がする。だが、彰人の手の中で赤い氷は水の中に身を沈め始めている。
 手の付けられていないかき氷。そこに大きな理由がある気がした。
 そして、それを無視してはいけない気もした。

「移動しよう」

 もう一度言って、薫は彰人へ手を差し出した。

「落ち着いた場所で話を聞きたい」

 そう言った瞬間、彰人の顔に見たことのない表情が浮かんだ。真顔というには大きく目を見開いていて、驚きにしては泣き出しそうで、呆然としているにしては口をぱくぱくさせていて緊張感がない。

「……薫」
「聞いてやるよ、しょうがないから」

 親切心だろうか。自分の言動を不思議に思う。彰人の怪談話に付き合う義理も道理もないはずだ。だが、何故だろう、そう言わなければいけない気がした。
 同情か。そう呼ぶにしては柔らかな感情が薫の中にあった。他人に対して様々な感情を渦巻かせながらも親しげに対応するような、そんな難しいものとは違う。むしろ、飼っている動物の体についた虫を取ってやるような、そんな衝動的な小さな配慮に近い。
 手を差し伸べた薫に、彰人は二三度目を瞬かせた。そして、その表情をゆっくりと崩していく。

「……ツンデレおいしくいただきました! あざす!」
「やめた、やっぱ聞かない」
「冗談だってばカオルチャーン」
「帰る」
「待って待って帰らないでお願いしますっ」

 ずるずると背中のTシャツにへばりついてくる彰人を無視しながら、背を向けて歩き出す。どうやら対処の仕方が間違っていたようだ。

「帰る。帰るったら帰る」
「いやん待ってぇカオルチャンんっ」
「帰る。絶対帰る。帰る。他言は認めない」
「ふざけすぎましたごめんなさいいい!」

 砂を踏みしめる足と正反対の方向にTシャツが引っ張られる。破られたら弁償だな、そう思いながら足を強引に進めていると、彰人も必死なのか片腕を腰に回してきた。もう片腕は二つのかき氷を抱えているのだろう。器用な奴だ。

「ちょ、待っ、薫っ」
「待たない。他言は認めない」
「弟がっ」

 ――潮騒が、耳から遠のいた。
 奇妙な単語が聞こえた気がした。道を何気なく歩いていて、突然車のブレーキ音を背後から聞いたような、唐突で衝撃的な一瞬。
 背筋を氷が滑り落ちていくような、耐えきれない寒気。

「……え?」

 足は既に歩みを止めていた。彰人の腕は力を緩めずに腰にへばり付いてきている。ここにどうしても留めておかないといけないと思っているのか、コンクリートに打ち付けられた杭のように、頑として薫を離そうとしない。
 必死さが見えた。文字の通り、命がけの意志がそこにあった。
 怖気が首筋を撫でる。真夜中の墓場で亡霊に足首を掴まれた感覚というのは、これに近いかもしれない。引きずり込まれる。振り払えない。逃げられない恐怖が体を硬直させる。
 逃げなきゃ。抗わなきゃ。そう思うのに体が動かない。この腕は誰の物だろう。どこかに引きずり込もうとするこの腕は、一体。
 混乱する頭の隅で、とある名前を思い出す。喉から声を絞り出した。

「あき、と」

 ゆっくりと発した声はかすれていた。潮騒にかき消されそうだ。――そうだ、海のざわめきが聞こえる。海の音。悲鳴のような、耳をつんざいて脳を震わせる音。
 そして思い出した。ここは浜辺だ。そして――この腕は見知った同級生のものだ。

「……いやさ、その、何と言うか」

 戸惑ったような声に、現実に引き戻される感覚が薫を柔らかく包み込む。と共にゆっくりと束縛が離れていった。それと同時に体のこわばりもなくなっていく。一瞬だけの恐怖は悪夢のように霧散していった。いや、本当に夢だったのかもしれない。一瞬だけ、暑さにやられて見た白昼夢。それほど不確かな一瞬のできごとだった。
 腕が離れていく。薫はようやく振り返った。そこではじめて、振り返ることすら怖くてできなかったことに気がついた。
 彰人を恐れた。一瞬だけれど、白昼夢だけれど、確かに、怯えた。
 首筋を覆う大量の汗が冷たくて、不快だ。

「悪い、その、な……」

 気まずげに頭をかく彰人の姿が目に入る。いつも通りの彼に安堵する。薫が恐怖した存在と彰人は遠くかけ離れていた。潮騒と彰人の声のように、正反対に位置する両者であることを再認識する。

「……座って、話しても良いか?」

 彰人がそっと言う。薫は躊躇わずに頷いた。正直、足がもたなかった。震えが彰人に見えていなければ良いと思った。

14:42-

 海の家は真っ昼間ということもあってかなり混んでいた。薫は海の家の横の屋根下を提案した。屋根と言っても、日差しはほとんど遮ってくれない。ぼろぼろの壁を背に、二人並んで座った。眩しさに腕で日差しを遮る。天頂に近い太陽は影を短くしていて、日差しを避けようにも難しい。近くを楽しげに家族連れが通り過ぎていく。

「ストロベリーのかき氷が好きでさ」

 紙コップの中の赤い水を覗き込みながら、彰人が言う。

「二つ年下だったんだけど、俺が小学校六年の時に波にさらわれて」
「……兄弟、いたんだ」
「昔のことだから、小学校一緒だった奴でも知らなそうだけどな」

 懐かしい昔話をしているように、彰人は穏やかに笑う。二つ年下で、彰人が小学六年というと、亡くなったのは十才の子供か。十という数字に、薫は目を伏せる。
 十年。どんな人生だっただろう。どんな夢を描いていただろう。どんな子だったろう。思いを馳せても、何一つわからないままだった。可哀想だとも思えない。何をもって可哀想という言葉を使えるというのか。何も知らないのに。比較的簡単な行為である同情すらできないというのは、奇妙なことのように思えた。

「夏が来るとちょっと思い出すけど、実のところあんまり覚えてないんだよな。十年間一緒だったっていっても、記憶にあるのは俺が保育園に入った頃からだし、実質五年くらいか。親が覚えてて俺が忘れてることも多いし、正直、存在そのものも忘れちゃうんじゃないかって少し怖い」

 そう言って彰人は目を海へと向ける。その表情は何かを思い出しているようだった。

「だからか、懐かしいとか、もし生き延びてたらとか、そういうことも思えないんだ。小さい頃に死んだばあちゃんみたいに、遠い存在で、何も思い入れがなくて、だから生きていて欲しいとかそういうことも思えなくて、むしろいなくて普通というか、存在していたとか考えられないっていうか、うん、変な感じがしてる」

 心底不思議そうに彰人は言う。そうか、と薫は相づちを打った。

「でもさ、ふと気付くと足りないなって思ってるんだ。遊び相手とか、話し相手とか、家に帰ったらいるはずの存在がいないっていうか。虚無感っての? それが気持ち悪くて、夏になったら海に来るようになってた」

 会えるはずのないものに会おうとして。それは、好奇心のままに墓場を歩くのとは違う。何かを求めているのだ。伸ばした手の先で何かを掴もうと、探しているのだ。水の中に落とした物を拾おうとしているかのように、歪む水面の向こう側にあるはずの物を掴もうとするかのように。
 もうそこに求めている物がなくても、水底全体を撫で回さないと納得できない。本当に何も沈んでいないとわかるまで、手を水の中から引けない。

「寂しいな」

 素直な感想を言ったつもりだった。だが、彰人の中にその単語は思いつかなかったらしい、きょとんと目を向けてきた。

「寂しい?」
「だって、親は覚えていて、彰人は覚えてないんだろう? 寂しいじゃないか。同じものを失っているのに、自分一人記憶が足りなくて、これから足りない分の記憶を培うこともできないし、弔おうにも記憶がないんじゃあ何も思い至れない」

 墓参りに行くと、よく感じることだった。親や祖父母は自分の祖父母や両親に思いを馳せていて、しかし同行している自分は何に対して手を合わせれば良いのかわからなくて。会ったことがない、存在していたところを見ていない。だから弔いの気持ちを作ることができない。一人だけ疎外されているような、居場所のなさ。

「寂しいだろ」

 もういない弟。その存在をはっきり覚えている両親。対して弟に関する記憶の少ない自分。
 小さい頃の記憶なのだ、親が覚えていて自分が覚えていない出来事がある、もしかしたら弟の存在そのものすら忘れてしまうかもしれない。だから、水底に沈んだ物を掬い上げようと、本当はないもの――弟という存在を掴もうと、夏の海で必死に手を伸ばしている。

「寂しい、か」

 意外そうな顔をして、彰人は肩から力を抜いた。空を見上げて、その眩しさに目を細める。

「……その発想はなかった」

 そうか、寂しい、か。そう何度も繰り返す彰人を、薫は黙って眺めていた。しばらくして彼がいつもの笑みを浮かべて薫に「腹減ったな」と言うまで、その遠くを見つめる表情が消えるまで、眺めていた。

14:56-

 寂しいな。
 そう言った薫の顔を思わず凝視してしまった。
 寂しい。それは予想外の言葉だ。弟の話をすると、決まって可哀想とか、ご愁傷様とか、悲しいねとか、そういった無難な言葉が返ってきていたから。

「寂しい、か」

 そうかもしれない。だから、自分は、きっと、弟の存在を夏の海に、その代わりになる存在を自分の傍らに、望んでいたのかもしれない。
 思い至ってみれば、自分の可笑しさに笑いそうになった。わかっていた。自分がもういない存在の代わりに誰かの世話を焼きたがっていることくらい。よく覚えていない弟と重ねて、誰かがひとりぼっちで教室の机に向かっているのを見過ごせなかったことくらい。

「薫」

 見れば彼は黙ってこちらを見てきていた。彼は県一の秀才だ。頭が硬くて、それでいて時折感性が豊かだった。そうでなければ弟の姿をこのしかめ面に重ねるようなことはなかっただろう。

「腹減ったな」

 笑えば、薫は呆れたように眉をひそめた。

「さっきかき氷を食べていたんじゃなかったか?」
「あんなんじゃあ空腹は満たねえよ。あー焼きそば! フランクフルト!」
「祭りの屋台じゃないんだから……」

 呆れつつも、しかし彰人と一緒に立ち上がってくれる。ふと、彰人は手の中の紙コップに目を落とした。赤い水だけになったかき氷を、砂の上にぶちまける。砂の上に一瞬たまった水は、あっという間に染み込んでいった。砂の色が濃く変わる。しかし日差しのせいですぐに薄れ始めた。

「捨てるなら手洗い場とかで捨てろよ」

 呆れたように薫に言われる。ああ、と彰人は笑って見せた。

「打ち水だよ、打ち水」
「そういう奴は世間から嫌われる」
「あーら、カオルチャンはアキチャンのこと嫌わないものねえ?」
「もう帰るよそれじゃあオゲンキデサヨウナラ」
「まあまあまあまあ、冗談はさておき! ちょうどおやつの時間ですし? ね、薫様!」

 背を向けようとするTシャツをがっしと掴む。きっと、このやりとりが楽しいのだ。何か言えば返事が返ってくる。手を伸ばせば触れられる。
 そうか、と彰人は目を細めた。
 探しても求めても手に入らなかった存在は、今そばにいる。夏の海の向こうではなく、今、自分の隣に、ずっと。
 幻覚ではなく、事実として。
 夏の海で赤いかき氷を買うことはもうないかもしれないな、と暑い日差しに首が焼けるのを感じながら、彰人は思った。

-14:59

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