ねえ、なんで。どうして。
どんなに叫んでも、誰よりも伝えたい人に、この声は、言葉は、届かない。
広大な荒れ野の向こう、地平線沿いに山脈が連なっている。薄い水色の空には薄い雲が張っていて、より薄い色になっていた。大地に緑はない。野生化した痩せた山羊が数匹、うっすらと生えた色の薄い草を食んでいるだけだ。
実りのない、貧しい土地。その広々とした大地を踏み締める。薄い草が頼りない悲鳴を上げた。その音も聞き飽きていて、私はただ遠くへ目をやる。
なぜ、あなたは私をこんな土地に置いていったのだろう。
山脈の向こうに日は沈んだ。薄色の空はすぐに灰色から黒色へと染まっていくだろう。この地の空は、醒めるような群青色も、胸を打つ夕日色も、怖気を感じさせる藍色も知らない。
じっと山脈の向こうを睨む。色のない日が沈む山脈の先、地平線の向こうには、色鮮やかな世界があるという。そこには鮮やかな緑があり、美しい空があり、綺麗な花が咲き乱れていると聞いた。
あなたはそこに行ったのだろうか。私を置いて。私だけをこの色のない場所に置いて、自分だけ幸せな場所へ行ったのだろうか。
ずるい。
「ああ、いたいた」
ふと明るい声が背中にかけられる。それに振り向けば、見飽きた顔の少女が駆け寄ってきていた。
「帰ろ。もうすぐ暗くなるよ」
カサカサと草を踏みながら彼女は私に言う。私はコクリと頷いた。手を掴んできた彼女に素直に従い、私は山脈に背を向け歩き出す。
「また山脈を眺めていたの?」
前を行く少女がにこやかに言う。
「好きなのね」
「……むしろ、嫌い」
「そうなの?」
「うん」
だから、毎日睨み付けている。
「地平線の向こうには死者の国があるのよ」
少女が前と同じセリフを言う。
「素敵な場所よ。きっとあなたのお父さんも、幸せにしているわ」
行ったことはないくせに、少女は楽しそうに言う。
「……私は」
また同じことを言いかけて、私は口をつぐんだ。同時に足も止まってしまう。前を行く少女も私につられて足を止めた。
「私も」
暗くなっていく広大な世界の中、私は飽きもせず、今日もまた呟く。
「私も、向こうに行きたかった」
風邪をこじらせて、この医者のいない荒れ野で死んだ父と共に、幸せなあの国に行きたかった。
なぜ私を置いていったの。なぜ私も幸せにしてくれなかったの。なぜあなただけが幸せの国へ行ってしまったの。
私も、幸せになりたいよ。実りのある、色のある、幸せな場所に行きたい。
死者の国は理想郷だという。なら、死んだ方が幸せになれるじゃないか。でも死んだら駄目だと皆言う。
「嫌だよ」
目の前の少女もまた、皆と同じ。
「死んだら駄目だよ」
「なんで」
「生きていたら、きっと良いことがあるよ」
死ねばすぐ幸せな国に行けるのに? 私が悪戯にそう訊ねると、決まって彼女は困った顔をして俯くのだ。
私は少女の手を引いて歩き出した。少女が黙ってついてくる。これもいつものことだった。
この空がまた薄い水色を宿した頃、私はまた、同じように山脈を睨み、少女が迎えに来、少女を引いて帰るのだ。毎日同じ。呼吸数や雲の位置や形、少女の髪のはね具合は毎日違えど、することは同じ。この場所の「生きる」とはそういうことだった。
私は明日も明後日も、変わらず地面の彼方を睨み付けるのだろう。私が生き続ける限り。