洋風そのものである聖堂は、外も中も人でごったがえしていた。何らかの宗教信者と見られる人のみでなく、観光客と見られる人もいる。彼らの目を見れば、彼らの雰囲気を感じれば、両者の違いは明瞭だった。
「人の心は単純なものだな」
一緒に来ていた友人が、明るい茶色に染めた短髪を掻き上げる。
「見れば、どうしてここに来ているかがわかる」
「じゃあ、おれらも観光目当てだって知られちゃうかな」
「さあ。でも、確かなのは、俺達は信者じゃない、この場所を観光地としか見ていない人間ってことさ」
友人はそう言って自嘲気味に笑った。
「信じていないものにたかる人間は、大抵、話題や流行や安易な興味しか気にしない。その場所でどんなに人が死んでいようと、どんなに誰かが必死の願いをしていようと、観光目当ての輩にはそういう光景すら商品。笑顔で写真を撮りまくって、楽しそうに土産を選ぶんだ」
俺達も、な。
彼の言葉に、私は沈黙してしまう。
観光とは難しいものだ。高校生の時、広島の原爆ドームへ修学旅行で行った。そこで記念写真を撮る時、ピースサインをしてはいけないと誰かが言った。笑ってはいけないと誰かも言った。この場所に相応しくないからだという。
なら、記念写真を撮ることは良いのか。形ばかりの花束を捧げるのも、石碑を悲しげに見る人を眺めるのも、ここに相応しい行為ではないだろうに。
私は終始気分が悪かった。観光客と弔いをしに来た人との差に耐えきれなかった。両者の違いは、彼らの目を見れば、彼らの雰囲気を感じれば、明らかにわかる。そして、自分もまた、悲しみに暮れる人々を興味津々に眺めている人間の一人なわけで。
どう頑張っても、観光客以外のものになれない自分が、この場に相応しい目や雰囲気を持てない自分が、そこにいた。
私はそっと頭を振る。
嫌な思い出だ。
「ここ、聖地なんだよな」
突然友人は言った。見上げる先に、見事な修飾が施された壁があった。ぐったりした人がかけられた十字架の像があり、女性の像がそばにある。
「キリストはここで死んだらしい」
「人が死んだのに、聖地なのか」
聖地というと、何だか清いイメージがある。死といった負の言葉は似合わない気がした。そう感じるのは私だけだろうか。そう思ったが、友人も同意を示すように頷いてくれた。
「ああ。――聖地ってそんなもんだろ。誰かが生きたり死んだり苦しんだりした場所が、そう呼ばれて観光に利用されるんだ」
酷く冷めた彼の声は、聖堂の中にこもる人々の声に掻き消える。
「思うんだけどさ、死を清くない、汚れだって言う方がおかしいよな。死は誰にでもある。血だってそうだ。誰の体にもある。なのに、目の前で血が流れる状況に人間は恐怖する。面白いと思うよ。自分が持っているものなのに、露見すると恐れの対象になる」
「……死を聖とするこの場所は、ある意味間違ってないって?」
「間違っているかいないかなんて知らないな。俺はそう思ってるってだけ。俺は世間そのものじゃないからさ、俺が正しいと思っていることに、必ずしも世界中の人の同意を得られるわけじゃない」
酷く楽しげに彼は言った。私は彼から目を離し、十字架を見上げた。金に輝くそれに、心の中で思う。
難しいな、この世の中は。
あなたが生き、死んだその時も、この世はこれほど厄介なものだったのだろうか。
あちこちから聞こえてくる他国の言語が聖堂の中に木霊する。その響きに包まれながら、私はそっと目を閉じた。