「……え」

 その数字はどこから。

「私の勘から」
「それなら、金のベンザブロッ……じゃなくて! 勘? 勘って何?」

 危うくコマーシャルを唱えかけた。危ない、私、アブナイ。もう完全にアブナイ人になってる。

「勘ですよ」

 そう言って、時間屋はさわやかに微笑んだ。

「勘、です」

 思わず見とれる。そのくらい、綺麗な笑顔だった。人の目を惹きつける。ああ、そうか、と思った。
 この人、そういう人なんだ。疑わせないで、安らぎを与えて、人の心を惹きつける。だから、きっと、何でも許せる友人のような感覚になる。
 不思議な人。そして、危ない人だ。

「七十二秒だと、七万二千円ですね」
「ななまっ……!」

 訂正、むちゃくちゃな人だ。
 そんなお金、普通の学生にあるわけないでしょ!

「……あ」

 そう言おうとした矢先、私は気付いてしまうのだ。

「……あるわ、十万……」

 それは先日手に入れた、ある小さな小説賞の副賞。
 なんていうタイミングなんだっ!

「ええ」

 時間屋がおかしそうに笑う。その笑顔は、明らかに私の行動をおもしろがるもの。
 まさか、わかっていた? 私に七十二秒を買わせることができる、と?
 どんな超能力だ。

「ていうか、金額高くないですか? 一秒千円って聞くと大したことないけど」
「いえ、これでも安い方ですよ」

 そう言って、時間屋はふと真顔になる。

「例えば一秒の差で事故に巻き込まれる人、例えば一秒の差で電車に乗り遅れて将来の伴侶と出会う人、例えば一秒の差で大切のものを失う人……一秒はとても短い。しかし、運命を変えるには十分な時間です。一秒の価値はお金では収まりきれないんですよ」

 一秒の、価値。そう聞いて思い当たることがある。

「……そう、ですね」

 確かに、一秒は大きい。
 蓮夜さんと出会えたのも、一秒の差だった。とある交流サイトで、チャットルームに入室した時、私と同時に入室したのが蓮夜さんだったのだ。あまりにも同時すぎて印象に残っていた。蓮夜さんも同じことを思ったようで、そこから意気投合したのだ。
 きっと、あの時一秒でもどちらかがずれていたら、今、こうして悩んでいることもなかった。

「……わかりました」

 時間屋が私の目を覗き込む。時間屋の目はどこまでも黒かった。

「買います。七十二秒」

 そう言うと、時間屋はふと目を細めた。まるで親に見守られているような優しい眼差し。

「――交渉成立、ですね」





 七十二秒。この時間に、私はどうにも違和感を覚えざるを得なかった。なんて中途半端な時間なんだろう。
 しかし、しばらく経ってから気付いたのだ。

「……そうだ」

 ふとアイデアが浮かんだのは、時間屋が私の部屋を去ってから一分くらい経った頃だった。

「時間屋、あいつ書けばいいじゃん」

 真っ黒な格好をした青年。ちょっとイケメンで、でもちょっと危ない人。
 これはおいしい。おいしすぎる。
 そう思ったら早かった。誕生日に関わる話を書けばいい。そう、誕生日プレゼントを選ぶ時間が足りないとか。
 いや、プレゼントを買うお金がない、でも良いか。確か彼は、時間の買い取りもしていると言っていたから。でも、時間の買い取りってどんなだろ?
 そんなこんなで二時間が経った頃には、短編が一つできあがっていた。
 タイトルは「時間屋」。ちょっとかっこつけて、副題に「-Buying and Selling the Time-」ってつけた。
 これを一週間後に送るのが楽しみだ。そう思っていた私は、すっかり一限を忘れていたのだった。





 これが後に、時間屋という青年を主人公にした短編シリーズ「時間屋 -Buying and Selling the Time-」を書き始めるきっかけになるなんて、思ってもみなかったんだ。


〜END〜


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