夢。あるいはオレンジジュースのような




 ジーワ。ジーワ。

 茹だるような、八月。猛暑。
 部屋のなかでは、扇風機が健気に起こすぬるい風と、テレビから聞こえてくる、何が面白いのかもよくわからない人の声が充満している。

 オラオラ夏だぜ、と言わんばかりに気張る、蝉のような元気はあるはずもなく。

「あぢ〜」
 僕にできることと言えば、畳の上で大の字に寝転び、死にそうな声で、そう不満を洩らすことだけだった。
「……あぢ〜」
 とはいえ、それだけで現状が変わるはずもなく。
 後ろ髪引かれる思いで、扇風機の前から立ちのいた。
「飲み物、飲み物、っと」
 冷蔵庫を開ける。扇風機の送り出す風より、何倍、何十倍も冷たい空気が流れ出る。


(……動きたくねー)

 そうは思ったが、電気代という問題上、そういうわけにもいかず、コップに氷を多めにかきこみ、オレンジジュースを注いだ。
 氷が爆ぜ、小さい頃よくむせた、あの突き抜けるような夏の香りが弾ける。
 その向日葵色を、口に、含む。
 カラン、と。涼の音がする。
 ため息が無意識に漏れた。

──えーっと、それじゃあ、君たちの夢を教えてください。

 ふと、テレビから聞こえてきた声に耳を傾けた。

『消防士!』『か、看護婦さん……』『ぼくね、ぼくね』『お嫁さんになるの!』

 見ると、幼稚園児らしき子供たちが、マイクを向けられ、照れながらも各々の思いを語っていた。

「夢、ねえ……」

 グラスについた水滴の冷たさをほほで感じながら、僕は電源を切った。
 テーブルに置く。

「んー」

 背伸びをして、再び仰向けに寝転がった。額に腕をのせる。







──君たちの夢は?














 どうしてだかわからないが。
 さっきの言葉が、ひどく、耳に残った。












「知らねーっての。夢なんて」

 耳をふさぐように。
 肘を枕にし、横になった。












 夢なんて。
 視たって叶うわけじゃないのだから。











 でも、と僕は思う。

「あの頃なら」うっすらとだけ瞼を開けた。「何て答えたんだろうな」











 こんな将来を、あの頃の誰が想像できただろう。
 自分たちのこれからは、いつだって綺麗で、楽しいものだった。

 それが今はどうだ。

 夢見ていた輝かしい未来は、こうして怠惰に食い潰されている。







「……夢なんて」僕は寝返りをうった。「そんなもんだ」

ジーワ。ジーワ。

 あの日と変わらず蝉が鳴く。

ジーワ。ジーワ。

 繰り返し、繰り返し、蝉は鳴く。

ジーワ。ジーワ。







ジーワ。ジーワ。
ジーワ。ジーワ。
ジーワジーワジーワジーワ。

ジーワジーワジーワジーワジーワジーワ!









 けれど。と思ってしまう。

 もし。

 もし、もう少しだけでいいから努力していたら。
 もし、もう少しだけでいいから我慢していたら。
 もし、もう少しだけでいいから踏み込む勇気があれば、僕は──










「やめろ」いつの間にか腕は瞼の上にあった。「やめろ」
上体を起こし、飲みかけのコップをつかむ。
「寝よう」











 夢はそれで十分。
 だからこれ以上惑わせないでくれ。

 僕はこうして怠惰に、堕落して、誰もが夢見ることない、今を過ごしていくのだから。











 コップを大きく傾け、ごくごく、と、のどをならして飲み干した。

 カラン、と凉の音がした。

 蝉の声も聞こえない。
 コップを置いて、大の字に寝転ぶ。











 オレンジジュースで、僕はもうむせない。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -