今様歌物語
〜伝えたい〜
01
僕の通う高校は東西南北四方に校門を持っていて、駅に一番近い西門から足を踏み入れるとすぐ左手に、お世辞にも新しいとは言えない小屋がちんまりと建っている。内壁からは腹に響く低音、耳に響く高音宜しく奔放な印象を与えるバンドたちの音が聞こえ、そこは彼らのいわゆる住処となっているが、僕は彼らのことが嫌いじゃない。
二学期末試験が終了し、青春を放課後に捧げる若者たちは風のように教室から姿を消す。それはもう、一瞬にだ。『十七歳の誕生日が来たら、時の流れが変わる。時代の風は君の背中を押してくれるが、その風が君の歩調より速いことを忘れるな。』そんなフレーズが頭に浮かんだ。今度書く小説に使えたらいいな、と口の中でもう一度復唱した。
おそらく僕の頭部よりも重い鞄を背負い、一日の疲れとともに引きずって一階の事務室までは約六メートルの下降。上にいた僕の位置エネルギーの大きさが、一階の僕をより疲れさせる。
ノックを二つ。スライドドアを左に、僕は名乗る。
「失礼します。文学部の灯火野です。部室の鍵を借りに参りました」
鍵の貸し出し帳簿には、イトミミズのような字がのたうちまわっている。鍵を使うたびにこの帳簿記入の手間がかかるのはどうかと思う。しかしまあ書かないわけにもいかない。そうでなければ、あの扉は開かないのだから。
「失礼しました」という失礼のない挨拶を済ませ、僕は荷物を担ぎ直す。その重さに変わりはないが、僕の足取りは軽くなる。その足に外靴を履かせ、玄関に踊り出る。僕は西門に向かう。正確に言えば、西門脇に建っているあの小屋に向かっている。その名も「西門部室会館」。略して、「西部館」。
吐く息は白い。冬も本番を迎えようとしているらしい。寒い。
エレキギター、ドラム、そしてベースの入り混じったビリビリをかき分けて、小さな銀色の扉に辿り着く。ドアノブに、表札がぶら下がっている。
『文学部』
いつ来てもこの表札が斜めに傾いている。見つける度直しているけど、見る度にまた傾く。紐と、表札の重心との位置関係が良くないのかもしれない、多分。
何のためらいもなく、僕は鍵穴に鍵を差し込む。白いタグのついた、文学部用の鍵だ。
左にひねる。確かな感触と、カチリという音。
ノブをひねって最初に現れるのは、六つ寄せてある机。
のはずだが………。
僕の目の前には小綺麗な顔立ちをした少女が一人、机に向かって何か書き付けをしていた。彼女は僕を見て、あれ、とこぼした。
(「あれ」じゃないよ……)
「誰もいないんじゃなかったの?」
小綺麗な顔の割に、口調はさっぱりとしている。
「さしずめこれは……
開き入る扉の先に写りしは普遍でなしに異なる日々の
だね」
……何だって?
「え、今即興で作ったの?」
彼女は得意気げにニッと笑って頷いてみせた。そして、彼女は早口だった。
「私、鳥遊緋穂。短歌が得意で、長歌でも何でもオッケーだよ。文学部に前から興味があってついこの間部長に相談したら手続き全部してくれたのよ。で、部室はないのかって聞いたらあるけど狭いしこの時期寒いから物置になってるらしいじゃない。行ってみれば本当に物置というか倉庫って感じだし。でも蔵書は豊富だしパーソナルスペースって感じで気に入ったから毎日通うことにしたの。机も筆記具も揃ってるしね。天国だわ」
待て待て。
「僕だって毎日ここを使っていたけど……」
「誰某の聞かず生るる過ちは君が心の此の部屋なるか
もっと人の話を聞いてよ。言ったでしょ、『ついこの間部長に相談したら』って。相談したのは先週末。私は今日から部員です」
ようやく合点がいった。そうだ、「ついこの間」は期末試験だった。僕の中の時間軸に歪みが生じているのかもしれない……参ったな。疲れてるのかな。
「わかったよ。僕も毎日来ていたけど、鳥遊さんが来るなら仕方ないや。有効に使ってあげてよ。じゃ、風邪引かないようにね」
何せここは寒いからね。
「ちょ、どうしてそうなるのよ。君もいればいいじゃない」
「若い男女二人の個室で生まれるのは、異性不純交遊のあらぬ疑いだけさ……」
彼女が黙りこむと、部屋には静寂が訪れる。実際は音波の複雑な絡みがこの西部館を取り巻いて止まないのだけれど、今この部屋には発音体はない。ジョークは、通じないのかな……。
「文字伝え文字を思いて語る人君がおらずに誰に言はんと」
小声でつぶやかれた彼女のその歌に、確かにこれで通じ合える人たちは少数派だよな、と納得する。
「わかった、わかったよ。共有しよう」
僕が言えることなんて、こんなもんだ。頑なまでに拒む理由はどこにも見当たらない。
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