6.一年生秋

36

 その日の左良井さんは確か、普段おろしている長い黒髪を一つに束ねて右側に流していた。

「真っ直ぐに生きてきた人たちの言葉は、凶器ね」

 一瞬『狂気』って言ったのかと思って背筋がひやりとした。真っ直ぐで、固くて強い気持ちが時に人を傷つけることは僕も知っている。あの人≠ヘそれで狂い、傷つい……。

「僕は、鏡みたいだって思うよ」

 ……いや、思い出す事はしないと、決めたんだった。

「反射した光を見ているだけなのに、鏡はあたかも『目の前』に自分がいるかのように映すでしょ、それに似てる。自分で発した言葉を目の前の相手に届けているように感じているだけで、実は鏡に映った『自分』に言ってるだけなのかなって思う事もなくはないよ。
 ほら、光は常に直進……だしね」

 曖昧な言い方ね、と左良井さんは困ったように呟く。

「なんにせよ、それを偽善と言うと少し悪に寄りすぎる表現なのよね。上手く言えない」
「そうだね、あえて言うなら……鈍感≠セよ」

泣きたいときに泣いた方が心はすっごく楽だよ……きっと

 親切にも言葉回しを探りながら、しかし生きにくい僕らの歩いてきた道のぬかるみを見ようとしない。そこに悪意はない。ただ、鈍いだけで。

「……うん、それ以上の表現は見つかりそうもないわ。だからといって私は自分が敏感だとは思わないけど……」
「僕もそう思う。きっと鈍感にも色々あるんだよ」

 僕らは僕らで、生きやすい道を選べない鈍さを持っている。誰もが歩けるような単純で平坦な道を、どうしてか選べない鈍さ。
 納得したような腑に落ちないような、諦めたような表情で左良井さんはこの話に終止符を打った。





(……懐かしい)

 先ほどの志摩さんとのひとときはまるで、あの日を想定していたような会話だったなあと一瞬思ったけれど、きっと僕自身があのやりとりを心に留めていて、それで今日志摩さんに意見を求めただけなのかもしれない。
 頭がぼうっとしたまま、おもむろに鍋のふたを開けた。真っ白な湯気が大量に眼前を襲ってくる。

「あつつ……」

 すんでの所で身をかわし、ごごごと音をたて大きな気泡を湧かせながら煮えたぎった熱湯に慌てて乾麺を投入した。


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