1.入学式

06

 その日の講義が全て終わった午後、別の課題に必要な資料を求めて教養棟を正面から出てすぐ向かいにある付属図書館に向かった。最近大幅な改築工事がなされてバリアフリー化した滑らかな床が歩きやすい。図書館特有のどんよりとした暗さがなく、外からの光が十分に取り入れられた近代的な建物になっていた。インクのにおいよりも改築特有のツンとしたにおいの方が強かったが、受験期のオープンキャンパスで訪れたときに感じた閉塞感がすっかり無くなっていてとても気に入っている。
 学生証を磁気読み取り機に通してゲートを開けると左手にパソコンが累々と並んだ空間、右手には事務業務をしている人々が詰めているカウンター、そして正面には自習用の机が奥までずっと続いていて、パッと見ただけではその数が分からない。
 こういう風に並んでいるときの机の場所取りの仕方は、その人となりがよく表れると思う。どこに座っても構わない僕みたいな人もいれば、定位置じゃなければ落ち着かないという人もいるだろう。出入り口付近か、建物の最奥か、右端に座るか左端に座るか、人を避けて座るのか。

「さっきはお見事だったね、左良井さん」

 出来る限り人の密度の高いところを避け、奥の机の右角でノートを開いている左良井さんを見かけたとき、僕は入学式を思い出した。あの日も彼女は長机の右端にひっそりと座っていて、僕はその左隣に詰めたのだ。

 正面の席を失敬して、声をひそめて話しかける。

「あんな風に颯爽と講義室を去る姿、憧れる」

 そう、憧れ=B僕には到底出来ないことをやってのける彼女に対して覚えた小さな尊敬。冷たいとも怖いとも思わなかった。

「かっこよかったよ」

 重ねて褒め称える僕を、しばらく信じられないという風に見つめていた左良井さんは表情を硬くしたまま答えた。

「あんなの、憧れるもんじゃない。一番愛想の悪い方法」

 そして小さく、一番嫌われる方法、と彼女はつぶやいた。

「愛想なんて振りまいたって疲れるだけじゃないか。気になるなら愛想良くすればいいし、疲れるなら今のままでいればいい。でも僕はかっこいいと思った」

 左良井さんはどうして浮かない表情をするのだろう。

「かっこいいのは、越路くんのその考え方だと思うよ」
「……そう?」

 面と向かって(彼女は僕の目をいまだにちゃんと見てはくれないけれど)かっこいい≠ニ言われるのは慣れてない。ついさっき二回も左良井さんにかっこいい≠ニ言ったばかりなのに、いざ言われると照れくさいものだ。

「人の話を聞いて大事なところがどこなのか分かんないようじゃ、誰の話を聞いたって一緒でしょう?」

 ふっ、と短くつかれるため息。

「嫌なのよ。自分が出来ないことを、自分自身を棚に上げて自分以外のせいにする人間が。その不足を自分の努力で補おうとしない人間が。そのままこの大学生活をやり過ごそうとする人間が、私は大嫌いなの」

 吐き捨てられたそのセリフに、うまい返しの言葉が見つからない。左良井さんは参考書とノートを手早く閉じて鞄にしまい始める。憂いが陰る瞳は、どこを見ていたのだろう。
 立ち去る間際少しだけ微笑んでくれた彼女は、どこか疲れたようだった。


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