36 平助
平助は江戸に居る間、案外楽しくやっていた。北辰一刀流には知り合いも多く、陽気な平助は人気者だ。
それに、自分の勧誘で大勢の人間が新選組に入りたいと言ってくれる事が誇らしかった。
だが、京を離れている間に山南さんが脱走・切腹した事を知り、ぶつけようのない苛立ちに付き纏われるようになった。
なんでそんな事になるまで放っておいたんだよ! なんで止めなかったんだよ! なんで……逃がさなかったんだよ!!
自分と同門であり、兄と慕った山南の切腹は、あまりにも衝撃が強すぎた。皆に裏切られたような気分だった。
勿論、自分が居たところで結果は変わらなかったかも知れない。山南自身が決めた事だと言われればそれまでだ。
それでも、佐幕に傾いた新選組そのものが、山南の仇のような気持ちになったのは、そこしかぶつけようがなかったからだ。
仲間のせいだとも、新選組のせいだとも思いたくなかったが。しかも実際は違ったのだが。
京を離れていたせいで何も知らされないままだった平助は、新選組を少し離れた目で見るようになっていた。
それでも。やっぱり帰れるのは嬉しかった。自分の居場所はそこしかないと思えたからだ。
五月半ば。八ヶ月ぶりに戻った屯所は以前と場所も違い、もう西本願寺に移っていた。
隊士は増え、それ自体は嬉しい事だったが、知らない人で溢れかえる屯所は、もう平助の知る屯所ではなかった。
少ない人数で和気藹々とやっていた頃の面影は既に無く、軍隊の訓練所に来たような気分だった。
千恵は斎藤と寄り添い、待っていると思っていた千鶴の最初の言葉は「お帰りなさい、土方さん!」だった。
副長の小姓になったとは聞いていたが、形式上だと思っていた。なのに、千鶴はどう見ても本当に土方さんの小姓だ。
勿論自分にもおかえりと言ってくれたし、温かい笑顔で歓迎されたのだが。千鶴の土方さんに向ける笑顔に、
胸がチクチク痛んだ。どこか、自分は特別だと思っていた。
千鶴が敬語を使わず話すのは、千恵を除けば自分だけだったから。
年も近いし、話も合うし、少し……惹かれていた。だが、たった八ヶ月で千鶴は……女性になっていた。
それは秘かに芽吹いた、平助本人の恋心がそう見せているのだとも分からず。
少女が女性になったその姿に、何か眩しいものを見るように遠くから眺めるしかなかった。
話してみると以前と変わらないように思えたが……色々変わったように見えて、戸惑うばかりだった。
帰京の翌晩。平助は、屯所の離れに呼ばれ、伊東参謀を除く幹部の集まる部屋に通された。
そこには…………山南がいた。
「山南さん!? ほ、本物だよな!? なんでっ! どうなってんだ? 教えてくれよっ!!」
山南は、可愛い弟に諭すように、ゆっくりとその経緯を話した。生きて鬼籍の人となった顛末を。
平助には理解出来なかった。そんな非道な話があっていい訳が無い。なぜ許したのか、分からなかった。
「嘘だ……ろ? なんでそんなの引き受けたんだよ! まるで新選組の人柱じゃねぇか!
もう……戻って来れねぇのかよ? 山南さん…………誰に唆されたんだよっ!!」
バシッ
平助の絶望と絶叫は、山南自身の手で頬を叩かれて止んだ。痛みは……心の方に走っていた。
「山南さんの覚悟を汚すんじゃねぇ! じゃあ何か? お前は――
お前は新選組が潰れて幹部全員が斬首になった方がよかったってのか!?
俺だってあんなもん間違ってると思ってるさ!だけどよ、だけど……。
現にここにあんだよ! 幕命も! 薬も! それを飲んじまった奴らも!
……絶対ばれちゃいけねぇ秘密が……あんだよ……。
山南さんはそれを全部まとめて背負ってくれてんだ。俺達の代わりに! お前の代わりに!」
永倉の怒号は次第に苦しみを押し殺したような声に変わり、その言葉は平助の心に突き刺さった。
俺達の代わり……俺の、代わり……。
衝撃は大きく、理解は出来たが納得は出来なかった。いつの間にか知らない間に、新選組が闇に侵食されてる気がした。
「でも千鶴と千恵は何にも知らないんだろ? あいつらは……知らないからここが好きなんだろ?
それって……あいつらの信じてる気持ちを裏切ってる事にはならないのか?
仲間だっていうんなら、そろそろ言ってやった方がいいと思う。俺だって、山南さんが生きててすげぇびびったけど。
それでも生きてるって知って、すんげぇ嬉しいし。まだ納得できねぇけど、こうして話せるのっていいと思うんだ。
千恵なんて、山南さんに目茶目茶懐いてたじゃねぇか。あいつなら泣いて喜ぶし、千鶴は鋼道さんの娘だろ?
一番知る権利があんじゃねぇの? 俺の言ってる事って……これも間違ってんのか?」
土方は溜息をついて平助を見つめた。若さゆえに真っ直ぐで、その真っ直ぐさが危うかった。
いつか足元を掬われる気がして、つい手を伸ばしてやりたくなるが。それは平助が望まないだろう。
なにより、平助は皆の代弁者でもあった。その思いは皆の胸にもあったからだ。秘密の代償の一つだった。
「ハァッ、ったく、お前は間違ってねぇよ。だが正しくもない。隠してる事を騙してる事だって解釈すれば、
あいつらを裏切ってる事になるな。実際月宮はかなり泣いたみたいだしな。だが……一応守ってるつもりだ。
このままなら、もし事が露見した時、あいつらは何も知りませんでしたって言えるだろ? 知らぬが仏ってやつだ。
だが……知っちまったら、きっとあいつらは嘘をつき通せねぇ。俺らと同じ罪を背負う事になる。
そんな闇に雪村と月宮を引きずり込む覚悟が、お前にはあるのか?
しかも鋼道さんは薬の開発責任者だ。……雪村の性格考えてみろ、きっと自分の事みたいに責任感じるはずだ。
飲んだ隊士が狂った姿をあいつは見てる。その薬を作ったのが父親だって知ったら、どう思う?
だから隠してる。仲間だから全部話せばいいってもんじゃねぇ、守りたいから話さねぇんだ」
土方の言葉に一同は沈黙した。沈黙は同意だった。
平助もその言葉を受け入れた。いや、受け入れるしかなかった。他に……思いつかなかった。
ただ、何かの拍子に全て話してしまいたくなる自分が怖くて、千鶴達と少し、距離を置くようになった。
手を伸ばせば掴めそうなその距離が、今の平助にはとても遠く感じた。
もし屯所移転で伊東と山南が口論になった日。伊東が山南に投げつけた言葉を平助が聞いていたら……。
だがあの日、平助は京にはおらず、伊東のもっとも武士らしからぬ言動は知らなかった。
そして誰も、あの日の事は蒸し返そうとしなかった。口にするのも不快だったからだ。
そんな些細な差が、いつか大きな分かれ道を左右するとは…………まだ誰も知らなかった。
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