157 合流
また一つ、また一つと新政府へ恭順を示す藩が増えてゆく中。
先に会津入りした斎藤率いる新選組の一団は、土方らの到着を待ちながら、度々小規模な戦闘に参戦していた。
千鶴と千恵は陣に待機し傷病者の看護、勝手方の手伝いなど、後方でそれを支えた。
千恵は飯を汁椀によそい、具の少ない鍋から汁をかけ、埃まみれで戻った兵士へと手渡していた。
けれど、その胸にはしこるものがあった。
……ここにある兵糧って、年貢として納められた物だよね。
自分たちは、会津で暮らしている誰かが強制的に供出させられた物を食べている。お米が高騰している事も知っている。
疲れと空腹を癒しに来る皆へ配りながらも、罪悪感の入り混じった複雑な気持ちだった。
やがて椀を受け取る列が途切れ。屈んでいた足の痺れを紛らわすように、立ち上がって伸びをした。
日陰から出ると乾いた地面が白く光を跳ね返し、眩しさに目を細めた。
先に配った者はもう食べ終わったんだろう。パラパラと空の椀を片手に寄ってくる。
その中の一人と目が合うと、千恵の顔がパッと明るくなった。
「はじめさん、おかわりですか?」
「いや、十分だ。お前達はもう食べたのか?」
「後でいただきます」
本当は残る事なんてなくて、千鶴ちゃんと二人、底のおこげを剥がした物に具のない汁をかけて食べるのがせいぜいだ。
隠しているつもりだったけど、はじめさんはその事に気付いていたらしく、ちょっと眉を寄せて咎めるような目線を送ってくる。
「……ちゃんと食べます」
千鶴ちゃんと二人、叱られた生徒のようにコクコクと頷き、目元が和らいだのを見てホッとした。
はじめさんは千鶴ちゃんに顔を向け、小声で吉報を話した。
「伝令があった。宇都宮を脱した軍が無事宿場に着いたようだ。この後合流する」
「ほ、本当ですか。それであの……」
言外にぼかした部分を掬い取り、大きく頷いた。久しぶりに見る笑顔で。
「土方さんが前軍を率いている。足に弾を受けたが、命に別状はないそうだ」
「ご無事で……そうですか、よかった……よかっ、た」
「ああ、無事だ」
生きていた。生きて戻ってきてくれた。
千鶴は滲む涙を誤魔化すように目を瞬かせ、言葉にならないほどの喜びを胸に噛み締めた。
もうすぐ会える。そう思った途端、落ち着かない気持ちになった。上着の裾をしらず掴み、湧き上がる震えを止めた。
「私、ちょっと顔を洗ってきます。中座してすみません、お話は後で千恵ちゃんに伺いますね」
ペコリと頭を下げた千鶴は、油断するとそのまま泣いてしまいそうになる顔を俯かせ、小走りに井戸へ向かった。
頬が、胸が熱かった。
千鶴の気持ちが背中から伝わり、千恵は自分の事のように微笑んだ。
「はじめさん、土方さんの怪我ってひどいんですか?」
「まだこの目で確かめた訳ではないが、足という事だから前線に出るのは難しいだろう。
しばらくはこのまま俺が隊を預かるつもりだ。千恵、体に無理はないか?」
「大丈夫です、夜はしっかり寝てますから」
本当だろうか。流山を脱出し仮の隊長となってから、千恵と過ごす時間が取れないままだ。
朝に夕に顔を合わせる度、変わりなく向けられる笑顔に安堵しているが……。元々気を遣う質だ、見せていない部分も多いに違いない。
自分の懸念を打ち消すように笑ってみせる、その頭にそっと手を乗せ、日差しで熱くなった髪を軽く撫でた。
「昼に眠気は来ないか」
忙しさからくる過労を案じているだけではない。変若水の毒が体にどんな影響を及ぼしているか気掛かりだった。
飲まされた直後の苦しみようを見ていただけに、このまま何事もなければと願う反面、そういう訳にもいかないだろうとも思う。
千恵の動きが一瞬止まり、伏せた睫毛の隙間から瞳がわずかに揺れた。
「まだ何も。何も問題ないから、このままで大丈夫です」
唾を飲み、少し早口でそう言い終わる。胸につきんと痛みが走った。
「……分かった、無理はするな」
それ以上の追求はなかった。今はゆっくり話をする余裕もない。
斎藤はもう一度彼女の髪を撫でると、名残惜しさと気掛かりを振り払うように、また後で、と言って踵を返した。
その夜。会津入りした土方らは無事本隊への合流を果たし、互いの無事を喜び合った。
斎藤が案じていた通り、土方の銃創は本人の痩せ我慢でもってどうにかなっている状態で、間髪いれず静養を進言した。
「土方さんが動けば士気は確実に上がります。だが、今はまだ前哨戦。本当の戦いはこれからです。
決戦までに足を治して下さい。あと……彼女達をお傍に控えさせますので、よろしくお願いします」
「月宮もか」
「……恐らく白河では一進一退の攻防となるでしょう。あんたに千恵を頼みたい」
土方の療養には複数警護兵が付き、場所も目立たぬ安全な所が提供されるだろう。
この会津でもっとも危険な場所へ向かう己の傍と、どちらに千恵を置くべきか。答えは一つだった。
しばし睨み合う。土方からすれば、女と一緒に引っ込んでいろと言われたようなものだ。面白いはずがない。
それでなくとも、やりたい事と出来る事の差に鬱憤は溜まる一方だ。寝てなんていられるか、と怒鳴りつけたかった。
だが、そうさせない眼力でにじり寄られ……大きな嘆息と共に折れた。
「甲府で俺が近藤さんに使ったのと同じ手を使いやがって。ったく、分かったよ。 くそっ、断らねぇと分かってやがっただろ」
「……お気遣い、痛み入ります」
前線へあいつらを連れてかねぇってのは、至極真っ当な判断だ。
負傷者の手当や賄いに居れば多少助かるだろうが、守ってやれるほど手は足りてねぇ。
それと同時に、恐らく雪村と月宮は、勇む俺を留める枷として置いていく気なんだろう。
移動でろくに手当する間のなかった足は、確かに負傷時よりやや悪化していた。
土方は不承不承ながらも、彼に隊長を任せ療養に入る事を飲んだ。
深夜、千恵と千鶴が借りている部屋の外でカタリと木戸を開ける音がした。
物音に目覚めた千恵が見やれば、月を背に立つ夫がいた。慌てて床を抜け出し、上着を羽織る。
千鶴を起こさぬようそっと後ろ手に襖を閉め、草履を借りて庭へ降りた。外はひんやりとしていた。
「夜更けに済まない、気づかなければ去ろうと思ったのだが……」
「私が気づくよう、わざと木戸を鳴らしたでしょう?」
ばれていたか。くっくと笑い、彼女の手を取った。そのまま言葉を交わす事もなく、少しばかりそぞろ歩きする。明るい月夜だった。
斎藤は番兵に見つからないよう千恵をいざない、納屋の裏手まで来ると腕に抱き寄せた。
無言のまま背中に回された華奢な手がギュッと抱き返す。お互いの心臓の音が伝わった。
千恵は夫の口から切り出されるのが怖く、自分から訊ねた。
「……行くんですね」
「すまない」
「いつ、ですか」
「五日、松平公にご拝謁を賜る」
次はどこへ? 今度はいつまで?
分かってた。はじめさんの少し硬い表情、夜中の散歩。きっと大きな戦いへ出陣するんだろうと。
その場所に私は……連れて行けないという事も。何時戻るか聞けないのも、いつもの事だ。
本当に戻って来られるか、もう一度会えるか、誰にも分からない。
置いていかないで、と言えたら楽なのに。必ず帰ってきてって言いたいのに。
――すまない。
その言葉が答えで、それ以上彼が何も言えない事を知っているから。私も何も言えなかった。
「少し体が冷えました。温めていてくだ、さっ」
はじめさんの胸に頬を預け、震える声でこの時間を少しでも長く引き伸ばそうと言葉を紡げば。
湿った唇に語尾を奪われた。
重なった口元から息が溢れ、低い微かな声が耳に響いた。
「愛している」
「っ! うっ……うっ」
堪えていたものが目元からこめかみへ流れた。もう止まらなかった。
嗚咽を殺し、自分から深い口づけを求めた。はじめさんはそんな私を戸惑うことなく受け止め、舌を誘い込んだ。
今、言葉は必要なかった。
どんな声でどんな言葉を伝え合ったところで、五日には道が分かれてしまう。
この口づけは誓いだった。必ずもう一度二人の道は重なる――その日まで決して諦めないという想いの確認。
千恵の涙が乾くまで、二人の想いは紡がれた。
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